サリンジャー、映画と作家になること

 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(Rebel in the Rye、2017)をアマゾンで見て、またサリンジャーの作品よりも作家としての人生に関心を持つ。いつもの「~メタ」好み。

J・D・サリンジャー(1919‐2010)を演じたのは、イギリスの若手俳優ニコラス・ホルトサリンジャーは長身、細身、浅黒い肌、黒い髪、面長と典型的なユダヤ系の風貌でした。俳優の方は長身ですが、色白、丸顔。でもけっこうよかったです。 

 若き作家志望のサリンジャーの導師とも言えるコロンビア大学の創作科の教授ウィット・バーネット をケヴィン・スペイシーが演じて、これもうまい。でもちょうどのこの映画の公開前後に性的暴行事件の加害者とされ、ゲイであることをカミングアウトした。それを知っているので、美青年ホルトとの関係にちょっと連想をしてしまいます。

 映画の冒頭に有名な劇作家ユージン・オニールの娘ウナが登場し、サリンジャーは無理やり自己紹介をしますが撃沈?のちにと付き合うのですが、彼女はサリンジャーがヨーロッパに従軍中に、30才以上も年上のチャップリンと結婚してしまいます。

 実は映画でも最後の方で少し出てきますが、サリンジャー自身も若い女性、もう少し若い娘に関心を持っていたのも有名な事です。映画ではNYから離れて執筆に集中しようと住み始めてニューハンプシャー州の家に高校生が学生新聞の記事にするとインタビューを申し込みます。美しい女子高校生にインタビューを受ける夫を妻のクレアは少し不安そう(苛立たし気?)に見ています。

 この場面はサリンジャーが隠遁生活に入るきっかけと若い女性を好む嗜好を描いています。実は高校新聞ではなく地元の新聞にスクープのような取り扱いをされ、サリンジャーは地元との交流も避け、敷地に塀を建ててひきこもるようになります。またのちに、10代の若い作家志望の女性(ジョイス・メナード)と同棲をしたり、娘のマーガレットの自伝的作品では、10代初めに父が娘に興味?を示さなくなったことなどが書かれています。

 一方ニューハンプシャー州コーニッシュでの隠遁生活を好意的に描いた『ライ麦畑で出会ったら』(Coming through the Rye, 2015)もあります。サリンジャークリス・クーパーが演じています。これもアマゾンで見る事ができますが、主人公の少年に魅力がなく途中でやめました。

 その前後にイアン・ハミルトンの『サリンジャーをつかまえて』(1998年、文春文庫)を読み、本棚の村上春樹柴田元幸サリンジャー戦記』も再読。『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)も。その勢い?で『サリンジャー選集1 フラニーとズーイ』(荒地出版社)も机の上に。
 『サリンジャー戦記』については去年の6月(https://seiji-honjo.hatenadiary.jp/entry/2021/06/29/095529

「反成長小説」という柴田さんの意見に共感。その前のブログでドイツやフランスの「教養小説」ならぬ「反教養小説」がアメリカではないかと書いていて、それと共通する意見に我が意を得たりと思ったのでした。そうアメリカは若者の「イノセンス」を称揚するあまり、「成長」=大人になる事がおろそかになっている。成長、経験を重視するヨーロッパの大人の文化に対して、若者のイノセンス、パワーをよきものとする。そして戦後の日本はその影響をかなり受けてきたと。

 サリンジャーも結果として成熟を拒否した人生になったのでは。成熟=大人にまつわる様々な事が受け入れられない。作家になって書き続ける事はできなかったのだろうか。家庭を持った=大人になったけれど、それを維持する事はできなかった。人生や社会の様々な些事と向き合い、時に妥協するような普通の大人の人生を送る事はできなかったのだろうか。ま、それもアーティストの生き方でもあるけれど。何か俗っぽい?仙人のような。