「最後の授業」の評価の変遷

 たぶん中学の時だろうか。それとも小学校高学年か、国語で「最後の授業」という話を習った記憶があります。

 フランスのドイツ国境に近いアルザスという地方の学校で、「最後の授業」が行われる。翌日からドイツ領になり、ドイツ語が学校で学習するようになる。たぶん戦争かなにかでフランスが負けてしまったから?その頃はそう思ったか教えられました。普仏戦争って言われても当時は・・・

 特に何も考えずに、母国語に誇りを持つ「国語愛国主義」的にすんなりと受け取った記憶がある。

 しかしこの「最後の授業」、いろいろと問題がありました。

 フランスのアルフォンス・ドーデという作家の短編。日本の幕末から明治初期に活躍した作家で『風車小屋たより』も名前を聞いたことがある。その中の短編「アルルの女」もその後、戯曲化され有名になったようで、名前は知っている。

 で「最後の授業」について、いま書評を書いている本に出てくるので調べたらいろいろと面白い。書評対象本でも「失われた大義」という言葉で、南北戦争で負けた南部が白人の奴隷主と黒人奴隷は友好的だったとか、奴隷制は遠からず廃止されるはずだったとか、黒人差別の極限的な形態である奴隷制に対する責任を回避する/ずらそうとする。その事によって、人権に基づく奴隷制廃止という「大義」が「失われて」しまう。

 ちょっと面倒ですが、その事を論じる枕に「最後の授業」をもってきています。南部の「失われた大義」と「最後の授業」の共通点については後ほど。

 「最後の授業」は、日本で1927年に教科書として採用され、戦後の一時期に消えた後、1952年に再び採用される。しかし1985年から教科書に採用されていない。その理由として、諸説ある。

 実はアルザス地方はもともとドイツ語方言のアルザス語を話していて、当然プロテスタントも多いとすればドイツ文化圏か。でもカトリック信者が多いと言うという説もあり、そうなると言語と宗教のねじれた地方という事に。さらに国境を接する地方では言語と宗教の多様な混在もまた当たり前かも。

 また作者のドーデがプロヴァンス地方の出身であり、プロヴァンス語はフランス語とは異なる。地方出身者の中央/主流への過度の傾倒か。さらに反ユダヤ主義という面もあるという。ま、それは当時のフランス人の中で特殊と言う訳でもない。10年くらい後には「ドレフュス事件」もあったし。

 いずれにしても、フランス語文化圏の地方がドイツ語圏になる事の悲劇を描いたと思った日本の生徒たち。ま、それ以上考えるほど感動したわけではないですが。

 構図的に ①「国語愛国主義的な受容」 → ②「(ドーデによる)言語文化について歴史・文化的偏向」 → ③「国語イデオロギーが文化的多様性を抑圧する風潮への批判」

 で、①はまあ、当時としては妥当だとしても、②が知られて、③も含めてPC(politically correct)的に宜しくないと判断され教科書から消えたのでしょう。

 前述の「失われた大義」については、自国語を誇りに思う気持ちは自然のものだけど、「最後の授業」ではアルザス語(ドイツ語方言)を話す人々の大義が失われたのではないのに、フランス人の地方人のドーデが勝手に「失われた大義」的に解釈した点が、南北戦争後の南部の歴史改変的な解釈と類似しているかなと。少し面倒な話になりました。

  でも普通にフランス人ドーデが「フランス語は素晴らしい」という国語愛国主義を小説で歌い上げ、それを日本の教科書で取り上げるのは、これも普通であると思う。僕は面白いと思うのは、そのような誇りが実は作家が歴史や文化の細部を捻じ曲げた結果であり、そのことが分かった事もあり、かつそのような誇り自体も他の文化を抑圧している可能性について配慮され、修正されたという事である。

 写真は「最後の授業」が収録されている短編集『月曜物語』の表紙。黒板にVive La France(フランス万歳)と「最後の授業」の最後にアルメ先生がと書いている。

 フランスも他の大国も、小国もそうかな。自民族中心主義(ethno-centrism)はどこでもあります。でもフランスはフランス語が世界で一番美しい言葉と臆面もなく言う国でしたね。確かにフランス語の響きが美しいけれど、自分で自分の事を美しいというのはちょっと・・・

 自国の文化を誇りに思うのは自然ですが、他の国と比較して一番とか言い出すと、途端に独善的になってしまう。日本でもそんな本を出した政治家がいました。

 追加的に書いていますが、アルザス地方の人は普段アルザス語を話していて、子供は学校で国語?であるフランス語を学んでいる。その学校で学ぶ言葉がドイツ語に代わってもそれほど・・・前述のようにドイツ語の方がアルザス語に近いし。主人公のフランツ君の名前もドイツ語っぽいね。

 

 今日は寒い。水曜は25度越え。今日は10度ちょっとで10度以上の温度差は70才越えの身には厳しい。それでも朝9時15分に山の手コートに行ったんです。誰もなかったので生協で買い物して帰宅。

 午後、公園では桜がちらほら開花しているので散歩。うちの方のコートで知り合いがやっていました。ストーブがほしいと言っていました。