「ねじの回転」の意味

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   ヘンリー・ジェームズの『ねじの回転』(1898)はオペラや映画になっているので有名です。特に『妖精たちの森』(The Nightcomers, 1971)が僕らの世代ではマイケル・ウィナー監督のせいもあり知っています。このイギリスの監督はバート・ランカスターの保安官もの『追跡者』(1971)、チャールズ・ブロンソンの殺し屋『メカニック』(1972)、アラン・ドロンの殺し屋『スコルピオ』(1973)、そしてまたブロンソンで自警主義が問題になった『狼よさらば』(1974)で世代に限らず、映画ファンに知られた監督でした。

 さて『ねじの回転』は原題がTurn of Screwで確かに直訳すれば「ねじの回転」にもなりますが、これでは何の事か分からない。『檻の中』を訳したヘンリー・ジェームズの専門家も「『ねじの回転』という不可解な日本語訳の題名がいつのまにか定着してしまった」と嘆いています。しかしこの『檻の中』を訳した専門家の訳と解説はもちろんとても参考になりますが、少しピントがずれているようにも思いました。と言うのも「ねじの回転は」はもう少し意味をくみ取って「ねじの一ひねり」、そして「話のひねり」とすれば分かりやすい。

 「話のひねり」の方は、物語を紹介するダグラスと聞き手も使っていて、ダグラスの40年前の知り合いの女性が家庭教師となった時の物語を語る前説で、これって額縁小説と枠小説とか言われるジャンルです。中心の物語の外枠として物語の由来が語られます。メインの物語が絵で、それを縁取る額縁が前説や物語の由来の説明になる。日本の『百夜物語』や『カンタベリー物語』のように順番に語り継ぐタイプ。『千夜一夜物語』(『アラビアン・ナイト』)のように王様のために一人のひと(王妃)が語り続けるタイプ。そして『フランケンシュタイン』のように北極探検隊の隊長が偶然フランケンシュタイン博士を見つけて、その物語を姉に手紙で語る書簡体小説でもあるタイプ。

 で『ねじの回転』は百夜物語のように複数の人が自分の知っている怪奇譚を話すように見せて一人の語り手の物語で終わる中編小説です。そして子供が幽霊を見るという点が「ひねりが効いている」と語られます。それも兄と妹が美少年、美少女で、その伯父から家庭教師を依頼された20才の若い女性が前の家庭教師と下男の幽霊から子供たちを守る。その家庭教師と下男の物語が『妖精たちの夜』で実は前日譚。それも前の家庭教師と下男を殺したのは少年であると言う設定です。

 やはりヘンリー・ジェームズの心理描写は細かすぎて読みずらい。そしてよく分からないタイトルだった「ねじの回転」は「話のひねり」であると理解した上で、大人の男女の愛、子供たちの稚拙で残酷な模倣、階級の格差と抑圧が描かれていて、それらが「ねじの回転」によりさらに深間に、深刻な悲劇的な状況に落ち込んで行く事が表現されているように思えました。つまりTurn of Screwは「話のひねり」であると同時に、「ねじの回転」で物語を下降させるドライブであると。

 写真は2階の窓から見た冬の夕暮れの景色です。