ガートルード・スタインの『3人の女』

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 富岡多恵子訳の『3人の女』は入手が難しいので、本家の『三つの物語』(光文社古典新訳文庫)に挑戦。と思っていたら、別の本を探しているときにまた本棚のすみに中公文庫の『3人の女』が見つかった。よかった。アマゾンで本の保存状態が「可」で1200円~2000円(送料ふくむ)で、「良」がなくて、いきなり「非常に良い」で2400円。これでは読みたいけれど、2500円はなぁと躊躇していました。それでなくてもアマゾンの支払いが増えている。本が多い。次にCDか。いや、お酒の注文がいちばん多い(間違いなく)。

 話は50年近く遡ります。書き手が老人なので古い話が多くてすみません。

 大学の授業で藤女子大からの非常勤の先生がガートルード・スタインの『3人の女』をテキストに使った。2番目の物語「メランクサ」が面白かった。意識の流れのような、繰り返しの多い文章。スタインってちょっと前衛的な作家だと分かります。でもこの先生がヘンリー・ジェームズの専門家で、学部から大学院と6年間くらいのうち4~5回くらいは授業を取ったと思いますが、ジェームズの作品が多かった。心理小小説の泰斗というか。面白かったのはご本人もジェームズに似ていて、それを自覚してもいるようで。学生に向かわないで、横顔を見せるような姿勢で授業をしていました。先生が「メランクサ」の説明をしていた時の身振りも印象的でした。

 さらに僕が教員となった後、非常勤先でご一緒して、帰りのバスも一緒の時も。「本城さんは、研究はともかく、いろいろ知っていて面白いね」と言われました。映画や音楽の話をしたのでしょうか。「研究はともかく」という表現は使われなかったとは思いますが、そのような内容の事を言われたのは悔しいけれど事実だった。しかもご自宅と僕のうちが近いので、先生のお宅で飲んだこともあります。「何がお好きですか」と聞かれて、シングル・モルトのつもりでモルトが好きですと言うと、お宅にモルト・ビールがたくさん?用意されていた。

 

 富岡多恵子さんの訳者あとがきにもあるように、黒人女性メランクサと恋人の黒人男性医師ジェフとの延々とつづく口語のおしゃべりの中で、何か行き違いのようなものが見えてくる。理性的な認識の手前の感情や知覚のレベルでの言語。それを表現しようとしているように思えます。コンマという区切りをできるだけ付けない、とりとめのないお喋りがあるリズムを生み出している。

 29才の時に移り住んだパリで出会ったピカソマチス、ブラック、アポリネールなどの画家や詩人との交流で生まれた新しい芸術のあり方は、小説では言葉の使い方、文法にとらわれない文体の使用などになって表現された。8才ほど年下のジョイスやウルフの活躍はこの『3人の女』(1907年)の少しあとになるけれど、ある意味では自動記述的な、意識の流れ的な会話の表現をはじめたと言えます。

 考えればフローベールもリアリズムの時代の作家ですが、感傷を排した正確な描写は現代文学の先駆とも言われています。確かに「素朴なひと」でもフェリシテの繰り返し襲い来る悲劇に対して悲しみの表現はミニマムで冷静にふるまっていました。ナボコフが『ヨーロッパ文学講義』で述べているようにカフカが精密、正確な表現についてフローベールに影響を受けていたようです。そのカフカが青年時代に愛読したという『感情教育』も届いていますので、読まなくては。