反教養小説としてのアメリカ文学

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 小津本からハイスミス、そしてオースターから今は漱石を読んでいます。

 『彼岸過迄』を読み終え、今度は『虞美人草』。読みのガイドとして『漱石激読』(河出ブックス)と『漱石はどう読まれてきたか』(新潮選書)です。どちらにも登場するのが石原君。知り合いでもないのに、3つ年下なので。

 同時に授業の準備は「アメリカ文学」を80分でコンパクトにやろうと文学史の部分はやめて、ブログ本(教科書です)から『ハックルベリー』の孤児の物語、『王子と乞食』など。あとはテキストを離れて、100年前の『ギャッツビー』、そして戦後の『キャッチャー』と『オン・ザ・ロード』、最後に最近読んだオースターの孤児物語『ムーン・パレス』、前に論文にしたコーマック・マッカーシーの孤児物語『越境』についてまとめました。

 タイトルの反教養小説としてのアメリカ文学。上記の作品を取り上げてまとめているうちにそんな風に思えてきました。戦後のユダヤ系と黒人作家の小説を考えても、ヨーロッパの伝統的な教養小説は見当たらないかも。ユダヤ系作家のホロコーストを含む人間の犯した罪への赦し、黒人作家の抗議を考えると、教養小説と言うのは健全な社会の中の家庭に育った青年が何らかのトラブルや一時的な逆境を超えて、成長していく物語なのだとあたらめて思う。そう言う意味でアメリカの現代小説は教養小説でないだけでなくて、積極的に反・教養小説なのかもしれない。

 でも写真にあげた『オン・ザ・ロード』は少しだけラストに教養小説の雰囲気があるかな。中身はワイルドだけど。それとサルとディーンの分身関係もちょっと面白い。