ドラマとポリフォニー

 主人公の言動が主旋律だとすると、他の登場人物の言動が対位的に絡んでいく。で、最終的に主人公の意見が作者の意見だとしても、主人公が若い場合は、年上のその見解が尊重される上位の人物の意見が物語の見解として視聴者には受け取られる。

 『さくら』(2002年)は主役のさくらを演じる高野志穂のハツラツとした演技と言うか動きが楽しい。この女優は帰国子女でダンスをロンドンで学んだらしい。桃井かおり蒼井優もそう。趣里も。彼女は日本でらしいですけど。

 『さくら』ですが、教師未満のさくらはべつとして、学校の割には先生、教頭、校長の大人で教育者の意見が40代の脚本家T渕K子さんの筆力では無理のようでした。

 特に学校内のスッタモンダが解決され、最後に校長がこれが正解だとされる意見を述べます。これがドラマの脚本家の見解。それが浅いんですね。残念。

男たちの旅路』(1976年)は名作の誉れ高く、僕も同時代でみてこの時代の脚本家ってすごいなと感激していたのに、再見すると期待したほどではないのはなぜか。前のブログで、シリーズの後半の方が脚本家の筆力が向上していくからと書きましたが。ドラマの質自体が、1970年代と2000年代、そして2020年代では違うとも思いました。

芋たこなんきん』(2007年)では主人公の作家町子と夫の医者健次郎の会話が意見の一致と違いがうまく描かれています。主旋律が2つあるような、ポリフォニックなドラマの展開が心地いいい。登場人物のおかしい言動が他の登場人物にきちんと批判され、見ていていいですね。

 アニメの『青のオーケストラ』(2023年)を見ても、登場人物の書き分け、意見の多様性の表現とかがうまくなっているような気がします。

 文学はちょっと置いても、テレビ・ドラマやアニメなどの物語、登場人物、セリフ、考え方の表現などが、ずいぶんと進化していることが、過去の名作と比較して分かったような気がします。