『ファーゴ』と不条理

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2021年9月30日のブログでフランシス・マクド―マンドについて書いているけれど、代表作の『ファーゴ』(1996)は見ていませんでした。正直に言うと。デビュー作の『ブラッド・シンプル』(1984)と『ミシシッピ・バーニング』、『あの頃ペニー・レインと』(2000)、『スリー・ビルボード』(2017)は見ていますが、『ノマズランド』(2020)は未見。

 さて問題の?『ファーゴ』。けっこう面白い。狂言誘拐がストーリーのメインなのでミステリーの趣もあるブラック・コメディか。狂言誘拐を企てるドジな中年男性(ジェリー・ランディガード、自動車販売店営業)とそれを捜査する女性署長が主役。

タイトルの『ファーゴ』はノース・ダコタ州の地名で、冒頭ジェリーが二人の犯罪者に狂言誘拐を依頼?する場面だけ。あとは隣のミネソタが舞台となります。監督はファーゴという地名の音が気に入ったと言っているようなので、時々僕が言及しているサブテクストとしてのタイトルの考え方は無意味となります。ま、いろんな常識の意味が無化/異化するブラックな物語でもあるので。

 冒頭はジェリーを演じるウィリアム・H・メイシ―の面白い顔面演技を楽しむ。また犯人役のスティーヴ・ブシェミとピーター・スト―メアも奇妙でこわい。ブシェミは『ユージュアル・サスペクト』や『レザボア・ドッグ』でも異彩を放つ、ファンも結構いる個性派俳優です。スト―メアの方は、登場場面を見ていた家内が「『プリズン・ブレーク』に出ていた」と言ったので思い出しました。

 そしてもう一人の主人公マージ・ガンダーソン署長(フランシス・マクド―マンド)は始まって32分で登場します。1時間38分の映画の中で、3分の1たってからの登場です。それも臨月近い身重の署長。いくら田舎の警察だからと言って。でもそれがけっこう切れる。犯行現場での推理がちょっと名探偵っぽい。そして美人ではないけれど笑顔がチャーミングです。もちろん演技もうまい。夫が売れない画家で、最後に3セント切手のデザインに採用されてほっとします。でも29セントの切手に使われればよかったのにねとも。赤ちゃんも生まれるし。このもう一人の主人公の捜査力と、家庭面での幸せが観客をブラックな犯罪と暴力から目をそらす役割かなと。

 犯罪の暴力の場面はもっぱら大男のスト―メアが担当。ブシェミは失敗ばかり。彼が小男と言われのですが175センチはあるようなのに。メイシ―も同じくらいの身長です。このおしゃべりな小男と無口な大男のコンビもまたある種の定型。ある種の定型とそれを外す展開。

 さてコーエン兄弟(監督と脚本)の映画は、ある意味ポストモダンと言うか、ミステリーやコメディの定型を外しつつ進行します。その外れ方が面白い時と、そうでない時とあります。また冒頭に人物の名前は変えてあるけれど実際の事件であると言いつつ、最後ではフィクションであると観客をだましていますが、道路のわきにそびえる巨大なポール・バニヤン像はこの映画自体がトール・テール、ほら話であるとほのめかしている。このような物語や描き方は僕らの世代かその前ならある種の不条理とよぶかも知れない。

 世界は不条理に満ちているとも言えますが、それをそのまま描いても凄惨になるだけ。少しだけ上空から俯瞰して、人々の少しアンモラルな意図と、それが実現しない現実をやんわりとブラックなユーモアでくるみつつリアルに描く。例えば、冒頭のジェリーと犯罪者との約束が7時半だったとか8時半だったとかもめる。またジェリーと客との塗装料の些細な行き違いをそれにふさわしくない口論で描くなど。また犯罪もきちんとした計画と実行とは程遠い。それはそれでリアルなのだけれど、それを普通のリアルではなく、ずっこけた、時に暴力的で凄惨な描写で描く事がブラックなコメディという人生の真実に近づく。その匙加減が難しく、観客の好みもあるし。

 最後に繰り返しになる部分もありますが、今一度不条理について。不条理の生み出すナンセンスのあり方が今風で、かつ監督と脚本の個性だろうか。不条理と言うとカフカベケットが出てきますが、不合理的な状況、非常識的な登場人物の言動などが、ある種ユーモアをもって眺められ時、ブラック・コメディという表現で理解されるのでしょう。