『いまを生きる』と自由の陥穽

  主人公のキーティング先生がホイットマンの有名な詩O, Captain, My Captainを生徒に教える場面が素敵です。それと写真のように机に上がって、生徒にそれまでにない視点で世の中を見るように教える場面。

 この二つは、ラストに辞職させられたキーティングを送る生徒の一人が思い余ってが机に上がって、O, Captain, My Captainと朗誦する場面につながります。この生徒は内気なトッド(イーサン・ホーク)。ルーム・メートのニールが演劇志望を父親に許されず自殺をした時の、トッドが驚きと悲しみに錯乱したように雪の中で慟哭する演技も泣かされました。その後のイーサン・ホークの映画、けっこう見ていますがあまり・・・

 O, Captain, My Captainは長く続いた内戦(南北戦争)が終わったにもかかわらず、尊敬する指導者であるリンカーン大統領が暗殺されたのを悼むホイットマンの代表的な詩です。もちろん大統領は国と言う船のキャプテン(船長)。同様に生徒たちは去り行く指導者を悲しみと敬意をもって送り出す。

 1989年の映画です。30年以上前の映画で、間にも見ましたけど、いい映画は見るたびに発見や得るものがある。

 邦題はキーティング先生が劇中で教えるラテン語の格言Carpe Diemつまり「今を生きろ」から来ています。英語ならSeize the Day(その日/この日をつかめ)。ユダヤ系作家ソール・ベロ―に同名の小説があります。

 原題はDead Poets Society。意味はキーティングが母校に在学中に作った詩を読むグループの名前から来ている。Dead Poetsは物故した、古典となった詩人たちの事。

 監督はオーストラリアのピーター・ウィアー。出身のせいか欧米の社会や文化を外部の目から見たような映画が多い。

 脚本のトム・シュルマンはこの作品でアカデミー脚本賞を受賞しました。この作品のためのオリジナルです。でも英語ではノベライゼーションをナンシー・クラインバウムがしており、ペーパーで注文。ブロードウェイでも舞台化され、日本でも上演されたようです。こちらはもちろんシュルマンが脚本を書いています。もともと彼の学校体験、習った教師が反映されているとか。

 舞台は1959年アメリカ東部のバーモントにある全寮制の学校ウェルトン。伝統ある学校に出現した型破りの先生。よくあるパターンでもありますが、ロビン・ウィリアムズの名演もあって面白いです。こんな先生に会いたかった?なりたかった?

 劇中でキーティングにコテンパンにけなされ、生徒に本のツマラナイ部分を破れと言われたUnderstanding Poetryは作中では著者はプリチャードと架空の名前になっていますが、実際に存在するアメリカの有名な大学の詩の教科書のタイトルを借用しています。ブルックス&ウォレンという研究家・詩人の共作になる詩のアンソロジー&詩論で僕も学部か大学院の時に習いました。

 ホイットマンと並んでアメリカの国民的な詩人ロバート・フロストの「行かなかった道」(The Road Not Taken)も引用されている。これは自由意志で自分の道を選べと言う意味だと言われているらしいが、少し違うかもしれない。詩人自身もトリッキーだと言っている。自分の意思や判断で道を選んでも後悔はある。

 でも「選ばなかった道」を進んだら、よかったかどうかもまた分からない。何か人生の不可解さ、曖昧さ、運命と言ってもいいか。その運命が幸運なのか、不運なのかも選んだ後にならないと分からない。

 キーティングとニールとトッド。ニールは頑固な父親に反抗して演劇の道を選ぼうとしてできずに・・・キーティングは自由に生徒に教えようとして首になる。さて最後に校長の制止を無視して机に上がってキーティングを送ったトッドのその後に選んだ道は・・・