「すべて世は事もなし」とは言えない

 前項で能天気な老人の大晦日の言動を記しましたが、元旦も僕的には「すべて世は事もなし」に近い。

 あちこち故障はあるけれど、家人と年越しそばを食べる事ができる。

 平穏な元旦に賀状を読んで、友人知人の近況を知る。何人かは今年いっぱいで年賀状はやめるとの事。90才の先生二人は健在。大学教養の時の担任の先生と、学会の大先輩の先生。

 でも世界の事を考えると、とっても「すべて世は事もなし」とは言えない。100年前のこの詩も、犯罪を犯した男女の心を打つピッパという少女の歌なので、闇の中の光明か。作者の詩人はロバート・ブラウニング。ロンドンにあったこの詩人の名前のついたパブについては、2008年と2020年のブログで書いているので省略。

 「すべて世は事もなし」の前の「神は天にいます」がキリスト教徒ではない僕にはよく分からない。日本的には「何か神のようなものがこの世界にはある。」くらいか。それでもロシアのウクライナ侵攻のような愚行が1年近く続いている。ウクライナの人は「この世界に神はいないのか」と嘆いているのかも知れない。

 午前中にショート・メッセージでおめでとうと中学時代の友だちが書いてきたので、早速電話をする。会えなくなる前に会いたいね、と言われて、コロナ終息が先か、僕たちが外に出て会えなくなる年になるのが先か思い知らされた。

 柿ピーと黒ビールで外の雪景色をのんびりと眺めている。「すべて」とは言わないけれど、大きな「事もなし」と言ってもいいのかも知れない。タイトルと違うけど・・・