言葉と個の多様性、山田太一の世界

 鶴田浩二の遺作『シャツの店』(1986年)で、妻役の八千草薫が夫に言葉で「好きだ」と言わせようとする。この世代(戦中派)はそんな事が言えるか、好きだ/愛しているなんて分かっているだろう、と反応する。この「分かっているだろう」ではすまさないのが、山田太一脚本/ドラマの世界のような気がします。

 「分かっているだろう」だけれど言葉にしてほしい。心中/心情をあえて言葉にして表に出したい/出してほしい。言語化する事で明確に理解したい。何となく分かっているだけでは嫌、という事か。それに関連して、ずいぶんと言葉による議論の多いドラマが山田太一の特徴かも。

 鶴田浩二は『男たちの旅路』(1976年)では桃井かおり、水谷豊の若者に説教する戦中派または特攻帰りとして描かれていた。世代間の葛藤や和解もテーマかな。それに説教をするというのも、言語化の一つ。とくに若い世代に対して説教すると言うのは昔は普通だったけれど、今は難しい。理由は二つ、若い世代が聞こうとしない。僕らの時代はいちおう?聞く姿勢は見せていた(ような気がする)。古い世代も説教する気概とかエネルギーがない。これって両世代にそれを受けいれる文化がないと成立しないのでしょう。

 『それぞれの秋』(1973年)と『ふぞろいの林檎たち』(1983年)のタイトルは「個」をきわだたせている。家族も大事だけれど、それぞれ(「個」)がかかえる秘密が集団(家族)をゆさぶる。リンゴも店頭のきれいなものから、見切り品の不ぞろいな形の林檎があるように、いろんな個性があっての友だち同士(集団)。

 とすると山田太一の世界をすごく大ざっぱにまとめると、言葉によるコミュニケーション、集団における個、個の多様性かな。でも 何か曖昧なものを何とか言葉でとらえようとする試み/あがきでもあるような。後に文学研究に進む若者(僕です)からすると、言葉で説明できないこの世界をあえて言葉で説明しようとするとても新鮮なドラマでした。言葉、ことば、コトバ・・・

 振り返ると1970~80年代は脚本家の黄金時代(向田邦子山田太一倉本聰)だった。『前略おふくろ様』もいいドラマだった。ショウケンの板前姿もよかったし、海ちゃん(桃井かおり)も個性的でした。セリフ回しを仲間内で真似していました。後に清水みちこの持ちネタにもなったりして。

 そう言えば『想い出づくり。』(1981年)の田中裕子は高校(札幌西高)の3年後輩。テニス仲間に同期だった人がいますが、残念ながらクラスは別だったとか。

 桃井かおりの方は、水谷豊もそうだけで、僕とほぼ同い年。2003年くらいのNHKの『男たちの旅路』30周年?だかの放送を見ると、桃井かおりも水谷豊も50才になっているけれど若い。でも撮影や鶴田浩二に関するエピソードの語りは圧倒的に桃井かおりです。

 彼女は若い時に『ユリイカ』にもエッセイを書いていました。観察力、文章力、表現力があるんですね。でもスチル(写真)ではいいものがない。顔立ちよりも演技や表現力で勝負する女優だからだと納得。それに面白いレコードも出していました。「黒豆の煮方のろっく」を覚えています。それを聞いた店(エルフィン・ランド)も。

 明日は今年最後の研究談話会。202回目。東京から女性研究者(中国人の大学院生)が来札して発表します。

 パトリシア・ハイスミスに関する映画を見逃しました。11月25日から12月8日までシアター・キノで上映していました。残念。後から書き足しているので、時系列的に会わない。これは8日の記述。