飛ぶことと自由

今度は女性黒人文学。昨年末支部大会の講演の司会をした時に、『地下鉄道』を読んで、アマゾンで映画も見ました。その時に同様の奴隷文学であるシャーリー・アン・ウィリズムの『デッサ・ローズ』(1986)も読んで、その後、ノーベル賞作家トニ・モリソンも読もうとして時間切れでした。

 実は第2次大戦後、20世後半の最初のアメリカ文学ユダヤ人作家と黒人作家が注目されました。ユダヤ人作家はホロコーストについて、黒人作家はアメリカ社会の差別の歴史と現況についての抵抗文学の趣がありました。

 ラルフ・エリソン、リチャード・ライト、ジェームズ・ボールドウィンなどの名前を聞いた事がありかも知れません。特にライトの『アメリカの息子』(1940)は、1951年、1986年に続いて、2019年にも映画化されています。数年前の映画化は差別の状況がいまだ続いている事を証明しているようでもあります。Black Lives Matterなどという、当たり前の事を言わなければならないのが不思議でもあります。

 その戦後最初の黒人男性作家の後に、アリス・ウォーカーや去トニ・モリソンが出現したわけです。で去年買っていたトニ・モリソンの『ソロモンの歌』を読んでみました。その感想がタイトルです。

 主人公のミルクマン、男性、32才。その奇妙な名前は10才にもなって母のお乳を吸っているところを使用人に見られて言いふらされたせいで、軽蔑的なあだ名がついてしまった。でも、これは夫に顧みられない妻の性的な部分があったように思われます。タイトルや登場人物の名前はサブテクストとして重要なのですが、登場人物の名前がミルクマンやギター(親友)、パイロット(叔母)、デッドという苗字など、寓意的か民話的なジャンルを意識しての命名だと思います。実際、この作品の評価にアメリカの黒人のアフリカ的なフォークロア、神話、伝説、民話などの要素が指摘されています。そうすると最後の飛翔する場面もリアリズム的な解釈では無理。

 さて最後の場面と呼応するのですが、冒頭ある人物が空を飛ぶことを予告して死んでしまう事件と同時にミルクマンが生まれ、パイロットは幼子に小鳥と名付け、空を飛ぶことを予言しています。この冒頭の部分の唐突さは普通の小説にはない。これでなかなか先へ進めないで読者もいるでしょう。ぼくもそうでした。でも読み進めると面白い。パイロットは兄ソロモンの妻ルースが子供を身ごもって生むように仕向けます。そして生まれたミルクマンはのちに、パイロットの祖先探求の旅を共同で行う事になる。

 しかしミルクマンは最初、物質的な成功をした父親の支配のもとで、黒人中産階級の生活を享受します。でも精神的には決して自由ではない、そしてその事を意識もしていない。その頸木を外すのが、父と疎遠になっていた叔母パイロットの自由な考えと生き方です。物語的には、パイロットは時間がたっても甥が訪れる事を予期していた。金もなく、家も粗末だ。でも生き生きと暮らしている様子にひかれミルクマンは足しげく訪れます。

 そんなパイロットの孫娘ヘイガーとミルクマンは恋人同士になる。それが15才くらいか。このヘイガーは白人的な、消費と美意識にとらわれた娘で、のちにミルクマンに捨てられ、狂死します。このヘイガーを翻訳や研究書で「いとこ」としています。不思議な気がします。親がいとこ同士の場合またいとこという言葉もある。英語ではcousin。これは「いとこ、親類」、正確にはsecond cousinになりますが、省略してcousinでOK。でも日本語にした時は「いとこ」では間違いになるのでは。Kissin’ Cousins(『キッスン・カズン』)というプレスリー主演の映画がありました。これは成人してから出会ったまたいとこと恋愛する映画だったような。

 この件について、モリソン研究家のU殿先生に聞いたところ、アメリカ人は気にしないけれど、翻訳では区別した方がいいという意見でした。アフリカ系アメリカ人だけでなく白人もcousin, second cousinとしている言語的な区別をあまり重要視しないようです。日本ですと「いとこ」と「またいとこ」を区別しない事はありえない?ように思えます。翻訳の難しいところですね。何等親とか年齢の差などはあまり意識しない、大ざっぱとかは違う、またヨーロッパとは異なるアメリカ式の世代観、親族意識なのでしょうね。

 そう言えば、アメリカの白人作家の短編を読んでいて、きょうだいの兄か弟か、姉なのか妹なのか分からない場合がよくあります。長幼の序なんてない。これが長編となると、どこかで年齢が推測できるような描写があり、兄か弟かわかる。でも彼らの意識ではbortherで、elder bortherかyounger brotherかはあまり問題にならないようだ。

 さてミルクマンは32才の時に、ギターと失われた金を探しに南部に旅に出ます。それがミルクマンのルーツ探しになり、それはファミリーのルーツ、ミルクマンのルーツ、さらにはアフリカ系アメリカ人のルーツにもつながって行く。しかし、それは親友といっていいギターとの断絶につながる。ギターは黒人を殺した白人に報復する組織にいた殺人者でもあった。このギターに金塊を独り占めしたと疑われたミルクマンは殺されかかる。その前にギターはパイロットを殺してしまう。

 パイロットは、ミルクマンが誕生するのを手伝い、彼が自分/ファミリー/アフリカ系アメリカ人のルーツを探る作業を手伝わせ、ミルクマンが自立できると知った時点で姿を消します。パイロットをミルクマンの導師と評する研究者もいます。叔母であり、既成の価値観(白人、男性の支配する)から自由な存在だった。タイトルの飛ぶ事が象徴する自由な人物として描かれています。神話的なトリックスターでもある。

 登場人物の名前も神話的で、「跳ぶことの自由さ」と「自由に生きることの大切さ/難しさ」を体現したパイロットの死をまじかに見て、自分も跳ぼうとしたミルクマンのラスト・シーンはとても面白かったです。あのオープン・エンディングを普通のリアリズム小説の感覚で解釈してはいけない。もちろん単なるファンタジーでもない、アフリカ系アメリカ人の歴史と世界観から、トニ・モリソンが自然に選んだエンディングのように感じました。

 写真は2012年オバマ大統領から「大統領自由勲章」を受けている作家です。