ゲーリー・ピーコック、ベースの音と横顔

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 1970年に出た山本邦山の『銀界』が好きで、北大の邦楽研究会に入って尺八を始めましたが、わずか1年で挫折。一緒に入ったN西君はのめり込んで大学卒業後、尺八を作る修行をした後に実家の手稲稲穂で工房を作ったようです。雑誌やテレビで紹介していました。

 その『銀界』のベースがゲーリー・ピーコック。ピアノが菊池雅章、ドラムが村上寛。この頃からベース・ソロでも自分の番でソロを取るだけというよりも、前のソロ(尺八やピアノ)のソロと有機的につなげるような、また次の楽器のソロのフレーズを予期するような、その音楽の場を支配する演奏家だった。これは後付けの理屈ですが、その時の印象を今の言葉で表現しようとしていますが。

 実はキース・ジャレットのトリオでも、逆にゲーリーのフレーズをキースがなぞったりする場面はいくつもあります。ま、それはトリオの三位一体的な理想的なあり方でもあるかも。ソロの受け渡しの別の例ですが、チャールズ・ロイドのバンドでロイドのサックス・ソロの終わり頃にキースが伴奏をしながら自分のソロの出だしをはじめていて、サックス・ソロが終わった時のピアノ・ソロの始まり方は、前のソロと自分のソロがただつながるのではなく、重なりながらソロを繋いでいくようで聞いていておッこれはと思いましたね。

 ゲーリーは1992年には『テザード・ムーン』でも菊池と共演しますが、このアルバムのSo in Loveの菊池の絞り出すようなフレーズがよかった。

 遡って1960年代にニューヨークでフリー・ジャズのミュージシャン、ドン・チェリーアルバート・アイラーたちと共演をします。アイラーのGhosts(1965)、 Spiritual Unity(1965)にも参加しているんですね。

 その前の1963年にはクレア・フィッシャーのFirst Time Out(1962)、ビル・エバンスTrio64(1963)でもベースを。でもこれはそんなに印象に残っていません。Mr.Joy(1968) で共演したポール・ブレイゲーリーの元妻アーネット・ピーコックと結婚、でもブレイの元妻カーラ・ブレイゲーリーと結婚した訳ではなく、たぶん同じベースのスティーブ・スワローと・・・カーラ・ブレイのアルバムにはスティーブ・スワローがベースをやって、手をつないだジャケット写真とか仲の良さをうかがわせる情報が含まれています。これは有名な話ですが、大正から昭和にかけて文壇を揺るがした?谷崎潤一郎と友人の佐藤春夫の間での奥さんの交換?と似ていますね。ま、そんな例は音楽界でも文壇でもたくさんあるんでしょうね。

 それはさておき、1970年代は2年ほど日本にいて、先の『銀界』や『イーストワード』(1970)や『ヴォイセズ』(1971)などを録音しています。禅や健康食品などに関心がったらしいですが、後からニューヨークでドラッグやアルコールでボロボロだったと言っています。

 先週の金曜日に85才で亡くなりましたが、ポール・チェンバーススコット・ラファロ、レジ―・ワークマン、ロン・カーターチャーリー・ヘイデンとほぼ同世代。何日かゲーリー・ピーコックのベースを聞いてみたい。中音域を中心に音がしなやかで、演奏の中での自在にベースを操り、その場を仕切っているように聞こえます。まさにベース(基本、中心)の役割を果たしている。そのベースを抱えて演奏している横顔がフォトジェニックです。鼻梁がすっとしてきれい。これでもう少しファッションに気を付けていればもっと絵になったのに。