アーマッド・ジャマル、間の美学?

  アメリカの黒人男性ジャズ・ピアニストが92才でなくなりました。
  朝日の朝刊の訃報欄にきちんと報道されていた。
「音の間を効果的に使う」、「マイルスに影響」、「グラミー賞、「But Not for Meがビルボード100選」という表現で。
  彼については、2年前ブログ アーマッド・ジャマル 間の使い方 - 越境と郷愁 New (hatenadiary.jp)で書いていました。
 アーマッド・ジャマルという名前はたぶん1960年代のモハメッド・アリ(カシアス・クレイ)、アミリ・バラカ(ルロイ・ジョーンズのように英語名を捨てて、イスラム系の名前に変えたのでしょう。
 キリスト教を白人の宗教と考えてイスラムに改宗・改名した黒人がたくさんいた時代でした。でもキリスト教イエス・キリストユダヤ人=ハム・セム系、アラブ人と近かったんですけどね。
 で、ジャズ・ピアニストとしてコントラストの使い方がうまかったとあらためて思いました。
 「間の使い方」というのは、音と沈黙(間)の使い方でしょうか。しかもトリオなのでピアニストが鍵盤を叩かない時も、ベースやドラムの音が空間を埋めています。
 それ以外のコントラストとしては、強弱、長短。さらにフレーズが直線的に進行するのですが、時に戻ったり、わき道に逸れたりしているように感じます。それが面白い。
 そんな意味で僕は1958年のBut Not for Meよりも1970年のTheAwakeningを愛聴しています。音と沈黙(間)、強弱、長短、直進/逸脱というコントラスト。これは分かりやすいと思います。時にけれんというか意表を突く、わざとらしい事もありますが、だいたいは面白い。
 ただマイルスと比較すると、マイルスの間と言うのはそこにその音しかない音楽的必然なのに対して、ジャマルの場合は、そうすると受ける?という部分があるように思えます。つまりジャマルの音楽は面白い。マイルスの音楽はすごい。と言う事なのかなと。ジャマルゲーリー・バートンの共演盤(1981)の後に、MIles Smiles(1966)を聞いてそう思いました。