セロニアス・モンク、異化作用

・発端:

アルト・サックス(ウッズ)に飽きた訳ではありませんが、前に挙げた『文藝別冊』の「モンク本」を読んでいるうちに、『ジャズ批評』の『定本セロニアス・モンク』(2002年)に手を伸ばし、『セロニアス・モンク生涯と作品』(勁草書房、2002年)、『セロニアス・モンク 沈黙のピアニズム』(音楽之友社、1997年)、『セロニアス・モンク』(講談社、1991年)までのびました。すると当然CDにも。

・閉じられた世界:

今のところ相倉久人の「セロニアス・モンク 完成した一つの世界」(『文藝別冊 セロニアス・モンク モダン・ジャズの高僧』所収、2017年)がいちばん参考になりました。やはり相倉さんはきちんとした批評家だと再確認しました。モンクの音楽は閉じられた完成された世界を作り上げていて、その中に入ってモンクの世界に共感できる人とそうでない人がいる。聞き手なら、こんな音楽は嫌だですむ。

同じミュージシャンなら、マイルスのようにモンクを尊敬していても、自分のバックでの伴奏は嫌だと言ってそんなに悪くはないと思う。実際Bags Grooveを再聴してみても、他のトラックのホレス・シルバーのピアノに比べると、あまりに特徴的な、素朴なピアノ。さらにマイルスのミニマルで、でも必要な事は言い尽くしているような格好いいペット、ミルトのゴージャズなヴァイブの後に登場すると、少し・・・

・自由と不安

 まずジャンル的にはゴスペルやストライド・ピアノ、ホンキ―・トンク的な、モダン・ジャズよりは過去の音楽のスタイルを使っているような気がします。またフレーズを弾くときのタイミングが、無意識にでしょうが遅れる、または早くなる。それが緊張だけでなく、スイング感にもつながるような気がします。それと音数の少ない演奏も、その「間」が同様に緊張≒スイング感になるのか。

 これは通常の演奏の仕方がある種のシステムになっていると考えると、それへの抵抗、または制度や規範からの自由とも考えられます。そう考えると自由を標榜する?ジャズの典型、象徴的なモンクのプレイ・スタイルとも言えます。アドリブはad lib、つまり「自由へ」という意味なので、「自由」はジャズの本質なのだと。モンクが多用する不協和音も、和音=調性が制度になってしまっていると考えると、不協和音もまた制度からの遁走、自由への道だと。

 それがモンクの意識的な選択なのか、無意識的なスタイルなのかが、次の問題につながります。

・音楽家の病理と肉体

モンクの演奏スタイルは彼の個人的な病理(精神疾患双極性障害など)から来ている部分もあると思います。でも個人の肉体と精神から生まれる芸術は、その病理的な側面も含めて評価すべきだと思います。始まりから直線的に統一的に曲が進行して、調性の中で終止する。そのようなモダンな進行に抵抗する人間の自然さも同時に存在する。それを表現すると、突然不協和音を叩く、予想よりも遅れた打鍵、寄り道するようなアドリブ、それらが混沌を引き起こすようで、また元の進行に戻って演奏が終わる。それでもピアノの音、フレーズ、アドリブが魅力的なら構わない。

 音楽として美的に成立していればいい。流れるような演奏が美的でもなく、意味もない事もある。意識してないで、ジャズと言うジャンルの境界を超えたり、伴奏と言う役割を逸脱したり。しかもそれが音楽として聴ける。これがポイントだと。でもこれでは孤立してしまうか。そうならないギリギリのところで踏みとどまる。しかも流暢なアルペジオが弾けるけれど、そうではない奏法を選択していると。またはもう少し深層心理的に無意識に選択しているか。

・異化作用とポストモダン

  そしてそれって「異化作用」とも言えると思います。日常における当たり前の認識を「ひっくり返す」、「問い直す」、「再認識」するための方法です。モンクの音楽も、ピアノと言う楽器の当たり前とされるクラシック的な奏法・技術や、ジャズ的と思われる伴奏のあり方を考え直さざるをえない状況に聞き手を追い込む。

 僕的にはセロニアス・モンクはビーバップの創成期から活躍したジャズ・マンですが、ポストモダン的な位置づけをすると分かりやすいと思いました。20世紀前半のモダニズムに対して、後半はポストモダン社会が出現して、ポストモダン文化が普及します。でもジャズは数十年遅れて発現して、ポストモダン的な演奏は1970年当あたりからですが、モンクは遅延・逸脱・混沌と言ったポストモダンの特徴を自然に表現していると言うか、先取をしていると言うか。

・中断

 このあたりで息が切れてきました。モンクの音楽を聞いていると、ほっこりといらいらと両方感じる時があります。それは制度からの自由の気持ちよさと、制度に乗っからない不安との両方を感じながら聞いているからだと思います。

 今はStraight No Chaserを聴いていて、モンクの音楽に合ったチャーリー・ラウズのテナーとピアノがモンクの音楽世界を適切に表現していて、これはこれでありだなぁという感想です。作曲的には天才と言っていいかなとも思います。ジャズ・ピアニストとしては異才かな。