アーマッド・ジャマル 間の使い方

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 以前、別のアルバムか音楽の話で少しふれたかも知れないアーマッド・ジャマル

 今年90才になる超ベテラン・ピアニストです。黒人男性。たぶん1960年代に「アーマッド」というイスラム名に変えたのでしょう。

 63年の『ポインシアーナ』をアナログ・レコードで持っていました。最近学生がヒップホップやクラブ・ミュージックで人気があるらしいと言うので、70年録音のAwakeningを買って聞きました。3曲目のPatternsがいい。6曲目がStolen Momentsでこれについてオリバー・ネルソンのアルバムについて書いたんですね。書きながら思い出してきました。

 7曲目のWaveもちょっと趣向をこらして面白い。

 58年のBut Not for Me (at the Pershing)も買ってみました。これのPoincianaの演奏がすっかり気に入りました。Suiss Movementのレス・マキャンのCompared to Whatの演奏に通じるものがあります。というかそのライブ演奏を連想してしまいました。

 テーマを何回も、テンポを変えて繰り返しながら、短いフレーズと長いフレーズ、そしてスローとアップテンポ、小さい音と大きな音の混ぜ方がうまい。NasやCommon等のラッパーがサンプリングに使うのに向いていると納得しました。ヒップホップ≒ポストモダンの特徴である引用≒切り取りがしやすい強弱・長短のメリハリのはっきりした演奏なんですね。ジャズ・ジャイアントとは言わないけれど、名手と呼べます。

  それと間の使い方。音と音の間=沈黙の時間の長短で聞き手の次の音への期待感を募らせる(≒じらす?)。そのピアノの音がない間もドラマーのブラッシュやウォーキング・ベースの音があるので退屈?しません。

 もひとつ、ドラムやベースのリズムの上で、ピアノのフレーズが揺れるような、少し先へ行ってまた少し戻るような、ビートの上でフレーズが震えるような感じが心地よい。それって、僕の関心のある時間論の観点で言うと、日常の直線的に前に進む時間に対して、その場にとどまったり、少し後ろに戻ったり、横にずれたりする、ある種遊戯的な時間のようにも思えます。時間の比喩って、もともとある空間認識の言語(比喩)を使うんですね。

 そのコントラスト、ヴァリエーション、メリハリが効いていて乗ってきます。少しあざといですが、聞き手を気持ちよくさせてくれます。

 微妙な変化をつけて繰り返しながら続けていくスタイルがファンクを連想させます。ブラック・ミュージックの特徴の一つかもしれない。またお祭り的な、スピリチュアルな音楽の特徴とも通じます。聞いていて楽しく、かついろんな事を考えさせる音楽です。