マッコイ・タイナー、コルトレーンの影

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   僕のマッコイのついての記憶は、ジャズ喫茶で聞いたReaching Fourth(1962)。すでにコルトレーンのバンドに入っていた23才の新進ピアニストの2枚目。1950年代のバップ・ピアノを発展させた清新な、ノリのいい、でもバラードでは静けさも含めて充実したアルバムで、マッコイのファンではない僕もLPや次いでCDでも持っていました。

 次に1970年代はじめEnlightment(1973)を出した後に来日し札幌でも聞きました。でもこれって本当だろうか。サックスがエイゾー・ローレンス。ベースがレコードではジュニ・ブースですが、ライブでは確かアレックス・ブレークだったような気がします。この僕と同い年のベーシストについては何回か書いていますが、ジミー・ギャリソンばりにギターの様にコードを右手で奏でていた場面を覚えていますが、これも後から作った記憶でない事を願っていますが。厚生年金でしたよね。その頃はキースもチックもビル・エバンスもみんな厚生年金でした。キースはソロもアメリカン・カルテットも。そう敏子・タバキン・ビッグバンドも。マル・ウォルドロンは道新ホール、フレディ・ハバードは市民会館でした。

 マッコイについての次の記憶は、1996~67年にフィラデルフィアにいた時にコンサートに来ていました。その時はあまり関心がなく?行きませんでした。フィラデルフィア美術館にノース・カロライナ生まれのコルトレーン肖像画がかかっていて、後からどうしてフィラデルフィア生まれのマッコイではないんだろうと不思議に思いました。しかし高校を卒業したコルトレーンフィラデルフィアで音楽修行をして、軍隊に入った後もここに戻って来たらしい。

 何となくコルトレーン関係のミュージシャンを何となく遠ざけていたのは、スピリチャル風なのが嫌いだったのかなと。だってファラオ・サンダースKarmaという69年のアルバムのジャケット。あぐらをかいて両手を伸ばした宗教的なポーズが似非に見えました。曲もCreator has a Master Planというこれも似非宗教的に見えて忌避。コルトレーンの奥さんのアリスも苦手でした。それがスピリチャル・ジャズについて考え始めた時、ファラオのアルバムBlack Unityを聞いて開眼?しました。これはブログ本にも書きましたが、コルトレーンのジャズのスピリチャリティは素晴らしいが、少し真面目過ぎて息がつまる。これってスピリチャリティの修行的な部分のみで、求道的で祝祭的な部分が欠けていて、どちらかというお祭り的なのが得意なのがファラオ・サンダース。続けて何枚も聞きましたが、ちょっとポップになり過ぎたのもありますが、いいアルバムも多い。

 ついでに?アリス・コルトレーンも数枚聞いて、いいのもあります。ブルース的でスピリチャルなピアノがいい曲もありました。ハープも全体のサウンド中でうまく使われていました。で遡って?マッコイ・タイナー。1972年のSahara, Song for My Lady, 73年のSong of the New Worldあたりがジャズ・シンフォニーのようで壮大な音世界が聞いていて心地よいと感じつつ、これって過剰だなと思うようになって遠ざかっていました。この3月に亡くなった時もそんなに。

   でも友だちのブログでインパルス時代のLP6枚がCD3枚プラス1枚で出ている事を知って。しかも1751円とあっては、マッコイのピアノを聞き直してみようと購入。LP2枚分がCD1枚に入っていて、合計LP6枚、そして4枚目のCDが未発表のコンピレーションだけどこれは音が風呂場で録音したような、不思議なサウンドでした。

 1枚目は62年の『インセプション』。23歳の時に制作した記念すべき初リーダー・アルバム。確かに50年代のハードバップのピアニストよりは少し新しいサウンドの様にも聞こえます。しかしやっぱり2枚目の『リーチング・フォース』(62)がいい。ロイ・ヘインズとの相性がいいのだろうか。それともファーストの気負いがとれて、自信と若さの勢いがうまくブレンドしている。だから「グッドバイ」という佳曲でもセンチメンタルにならずいい具合に静かなバラードになっているし、曲によっては明るさと落ち着きがアルバムの魅力になっていて、など聞いても飽きない。ヘンリー・グライムズのベースもいいです。

 そして6枚聞きましたが、ぜんぶちゃんと聞いたわけではありません。やっぱり2枚目が僕的にはベスト。マッコイってかなりのピアニストだと思うけれど、同世代のビル・エバンス、少し下のハンコック、チック、キースのようなスタイリスト、つまり自分のピアノ・スタイルが後輩世代のピアニストに影響を与えたピアニストとは言えない。でもコルトレーンのグループ出身の大物ミュージシャンで70年代にはある意味それを受け継ぐようなアルバムを出したけれど、その後はその方向だけでは難しい。

 そういう意味で(どういう意味だろう?)大物ジャズ・ミュージシャンとマスコミ的には取り上げられるけれど、僕的にはそうだけど何か釈然としない。ピアノを聞き直すとけっこういいんですけど。マッコイ本人もジャズやピアノやミュージシャンとしてどんな事をしかたったのか気になっていたのでは。余計なお世話かな。

   マッコイ・ファンの人には申し訳ない。無理して書いたような気がします。