『青が散る』、青春小説+テニス小説

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1970年代から80年代にかけてテニス・ブームって言うのがありました。1974年~81年にかけてボルグが全英、全仏で、1979年~83年 にかけてマッケンローが全英、全米で優勝しました。『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』(2017年)が作られるくらいテニス・ブームをけん引したんですね。細かく言えば、コナーズはマッケンローの少し前からグランド・スラムで優勝していますが。その後、レンデル、ヴィランデル、ベッカー、サンプラスというヒーローが現れました。

 僕も1980年に北海学園に赴任した時に、大学の教職員テニス同好会に入って、それ以来42年。退職後も週4~5回も。しかし残念ながらいまは宣言で市営のコートは閉鎖中です。80年代、つまり40年前は豊平川の河川にコートがあった時代です。でもここはフェンスがないのでボールを拾いに行かなくてはならなかった。また元の自宅の前にテニス好きの地主さんが2面の貸しコートを作っていました。僕も友だちを呼んで、テニスで汗を流して、うちでビールという事も経験しています。そこはのちにスーパーになり、いまは整形外科に。

 1997年のロンドンに4か月いたときはウィンブルドンに3回行きました。日本からは雉子牟田(妹)が出ていたような。ヴィーナス・ウィリアムスが18才の手足の長い少女でした。2001年の全米オープンの時はクイーンズのフラッシング・メドーズで大会を見ました。セリーナ・ウィリアムスがヒンギスを破った。サンプラスのインタビューを近くで眺めていました。

 作家もテニスに夢中になった時期があったようで、その趣味と情熱と経験と時間を無駄にしないのか、テニス小説を書いています。村上龍の『テニスボーイの憂鬱』(1985年)は雑誌掲載中に読んだ記憶があります。でも宮本輝の方はテニス・ブームの時に始めたのではなくて、1960年代後半の大学時代テニスに明け暮れた4年間だったようです。で、今回はその経験も生かした青春小説+テニス小説『青が散る』(1982年の)について。

 宮本輝は関西の追手門大学の1966年入学1期生だったのですが、時代設定は70年代後半かな。数十年ぶりに懐かしく再読しました。最近、イギリスやフランスの古典を読んでいますが、日本の現代小説は読みやすい。言葉、文化、風俗が身近なのですらすら読めます。つまりそれだけ外国文学は敷居が高いという事になりますか。

 さて新設大学の1期生椎名燎平は、テニス部に勧誘され、キャプテンの金子と二人でコートを作りからはじめます。ヒロインはテニス部ではなくて、入学手続きをする際に知り合った佐野夏子。この有名ケーキ屋の一人娘、夏子を燎平が4年間思い続ける物語。金子に「大きな心で押しの一手」だとアドバイスをされますが、大きな心も押しの一手も実行できません。卒業時にみんな何かを得て何かを失ったように見えるけれど、燎平は何も得ず、失いもしなかったような孤独に襲われる。けど読者はそうではないよ燎平君と温かい目で見守る。

 「この4年間は、恥ずかしい時代やったなァ。・・・恥ずかしいことばっかりして来たような気がするんや」本当に自分の学生時代を思い出しても恥ずかしい。恥ずかしいことばっかりやっていた。得ることは少し。失なったものは大きかった。

 宮本輝はうまいとあらためて思います。登場人物の造形や配置、多様な迷える若者たちと彼を教え諭す大人たちがいい。う『青が散る』の前に読んだ、『春の夢』もよかった。ではそこでは燎平以上の苦学生が、ちゃんと?同級の女子を恋人としている。それなのに燎平の歯がゆさと言ったら。でもそれがいいのかもしれません。あとから別の女性(テニス部員の祐子)から愛を打ち明けられます。でも燎平も金子も、病気の遺伝に悩んで自殺した天才?テニス・プレーヤ―の安斎も、みんな夏子が好きだった。癖のあるテニスと性格の貝谷は祐子を好きだったけれど、彼女から燎平が好きなので断られる。

 そんな青臭い恋愛模様が爽やかに感じられるのは、宮本輝の描き方がうまいからか。リアルなのか。それとも現実とは違うような若者像を作っていてそれが心地よいのか。リアルさと虚構がうまく、バランスよく配置されれていて読みやすいのだろうか。

 前に読んだ時に一番印象に残ったのが、大学の英文学の老教授の葬式のエピソードです。燎平と仲間のテニスを研究室から3時間も眺めていたのですが、この先生は燎平に、若者は自由だけど潔癖でなくてはいけないと諭す。そしてテニスの「王道」を目指せとアドバイスをします。その教授の通夜で教え子だった中年の男が「先生に不良学生だと嫌われていた〇〇です。先生に死なれて、もう許してもうら事ができなくなりました」と叫んで泣くのです。僕も学部時代はともかく大学院では不出来な学生だったので、少し共感しました。