反教育小説としての『感情教育』

f:id:seiji-honjo:20210920071601j:plain

フローベールは、実は国民兵として銃を持って革命に参加し、民衆による略奪をみたり、共和国宣言を聞いたりしたらしい。でもリアリストであるフローベールは、革命派でも王政派でもなく、一市民(そんな立ち位置があるのか疑問ですが)として、淡々と1848年の出来事を書いています。

 1848年2月革命の日にマリー・アルノーとの逢引に失敗したフレデリックは彼女をあきらめ、高級売春婦(と言っていいのか少しためらわれますが)のロザネットと恋仲に。ロザネットはアルノーの愛人でもあった。

 しかもその後は銀行家のダンズブルーズ氏に取り入り、夫人の愛人となる。でもまだマリーに未練のあるフレデリックは破産に陥ったアルヌー家を救おうとするが間に合わず、一家はパリを去ってしまう。前述のティボーデも指摘しているように、フレデリックの恋愛相手は人妻二人、娼婦と後述の娘の4人。これが少なくとも小説に登場するパリの青年たちの生活における普遍的な恋人選びか。夫も愛人をもち、妻も青年と火遊びをする。日本とは違う文化なのか。日本でもある時代、ある階級ではあった恋愛模様なのか。たぶんあったと思います。江戸文化に詳しければそのような例を挙げられるのですが。

 フレデリックはパリと面倒な人間関係(自分が原因なのですが)に嫌気がさして、故郷に向かう。元ダンズーズ家の管財人で今は財産家となったロック氏の娘ルイーズが目的でもあった。こりないフレデリックです。しかし残念ながら、彼女は友人のデローリエと結婚式を挙げていた。この元?親友のデローリエは貧しい家の出で、中学時代にフレデリックと意気投合してパリでは同じアパートに住むほどだったが、フレデリックの分身的な人物であるという評言もありました。父親はナポレオンの軍隊の大尉、のちに執達吏の職を買ったと書いてありました。下級官吏か。漱石の『こころ』でもそうですが、例の「欲望の三角形」に当てはまるように思えます。でも嫁のルイーズは後から男と駆け落ちするのですが。

 そして第三部第5章の終わりでフレデリックの友人デュサルディエが「共和国ばんざい!」と言って倒れ、そこには元共和主義者だったセネカルが剣を持った警官として現れる。1851年12月12日ルイ=ナポレオンによるクーデタの日。

 デュサルディエの死は共和制の、共和国の死を象徴するもの。デュサルディエがこの作品でただ一人だけその意志と生活がきちんとした爽やかな登場人物だったのです。警官に暴力を振るわれる少年を助けようとして、自分が警官たちと喧嘩沙汰になる初登場の場面。私生児だと告白する庶民、また共和派としてもぶれない。一方はぶれまくりのセネカル。職工長の父を持つ数学教師で元共和主義者だったセネカルは警察官になって、デュサルディエを刺すことになります。ドラマティックな第5章の終わりは、共和制の最後を描いています。

 実は3年前の1848年の大統領選挙で圧勝したルイ=ナポレオンは、クーデタの1年後に伯父ナポレオン・ボナパルトにならって皇帝に即位し、第2帝政がはじまります。でも、前の方でも書いたようにこの革命~王政復古~共和制~帝政への変化ってどうも理解できない。

 その後フレデリックは例によって?意志が弱いですから、何もしないでたいして残っていない財産を食いつぶしながら、時間と若さを失っていきます。小説では「フレデリックは旅にでた。・・・・そして旅から帰った。…いく年かの月日がながれた。」と突然1867年マリーが訪れ、旧交を温めます。この10数年の歳月をプルーストは「巨大な空白」と呼んで称賛したらしいですが、これってフローベールルイ・ナポレオンの第2帝政の時代を認めなかったという事なんじゃないでしょうか。革命と共和制にとっての空白の時間。

 さらに仲直りしたデローリエと昔はよかったという話をしてほっこり終わりますが、この二人は挫折した失意の人生を送ったはずなのに。フレデリックは40代後半。3つ年上のデローリエは50になるかな。150年前ですから、50才は現在の60代後半と言ってもいいかもしれない。人生を振り返る老年の日々。愛も友情も、芸術も出世もほぼすべて失敗したフレデリック。リアリスト、フローベールの代表的長編小説、けっこう面白く読みました。

 次は『感情教育』よりずっと有名な『ボヴァリー夫人』ではなく、さかのぼってバルザックに挑戦。訳者がフローベールバルザックとゾラのちょうど間の世代なんですと言っていましたので。

 写真は例によって映画版。1962年の映画でジャン=クロード・ブリアリフレデリック。アルノー夫人はマリー=ジョゼ・ナット。1973年のテレビではジャン=ピエール・レオフレデリックと、フランソワーズ・ファビアンのアルノー夫人です。もちろん『ボヴァリー夫人』はずいぶんと映画になっていますが、『感情教育』もそれなりに。配役は地味ですけど。