『ゴリオ爺さん』、下宿小説

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こんどはバルザックです。フローベールを読んでいる時、訳者がフローベールバルザックとゾラのちょうど間の世代なんですと言っていましたので。なんかラブレーを生んだ国の作家たち。英文学とは静けさとはちがい、過剰な豊饒な騒々しい世界で、これもまた面白い。

 1799年生まれのバルザック。『ゴリオ爺さん』は1835年、作家36才の時。

 僕は気が短いので、文学的な作品の細かい描写が苦手で、ちゃんと読まないでストーリーを追って頁をめくる事が多い。これで本当に文学研究をやっていたのだろうか。だから文化研究の方向に行った(逃げた?)のかも知れません。でも『ゴリオ爺さん』は文庫の裏表紙にその最後が書かれています。ついでに粗筋を知ったうえで読んでみると、逆に落ち着いて読め、細かい描写が面白く思えるようになって。

 特に冒頭の数十頁はヴォケー夫人の下宿の説明です。バルザックの専門家もそこは飛ばしてもいいと言っていますが、そこがけっこう面白い。しかもパリの街の中のどこにあるか。近所の経済状態などの紹介。そしてヴォケー館の入り口、小さい庭の植栽の説明。家の外側の説明から、ようやく家の内部に入ります。

 ヴォケー館は4階建てさらにその上に屋根裏部屋があります。下男と料理女が住んでいて、ゴリオ爺さんがお金が無くなるにつれて、2階から3階へ、次に4階へ。そして最後は屋根裏部屋に住むようになります。

 下宿人は7名で、夕食だけを食べる法科や医科の学生が8人、その他予約なしに食べにくる常連が数名で、夕食時は18人がテーブルに着きます。僕が小学生の時に家が一時下宿をやっていて、多い時で5人くらいいたかな。母はそれなりに料理を勉強してメニューを増やしていたように思います。僕も家族4名+下宿人の支度のと手伝いをしました。

 小さかったからかわいがられて、ある下宿人の室蘭の実家に連れて行ってもらって、生まれて初めてチーズというものを食べました。1958年昭和33年。家に帰ったらテレビが来ていました。その下宿人のお兄さんは某デパートに勤めていて、ある時いなくなりました。会社のお金を使い込んで失踪したと後から聞かされました。いい人に思えましたが。

 さて『ゴリオ爺さん』に戻ると、バルザックが「人間喜劇」と名付けて、19世紀のフランスの風俗や思想を文学的に小説群で表現したものです。「人物再登場」という方法で、各小説を緩く、時に強く関係づけています。今風に言えば、間テクスト、インターテクスチャルな文学手法で、例えば主人公の一人、下宿人で法科学生のラスティヤックは別の作品で希望通り出世して大臣になっています。

 その作品は『ゴリオ爺さん』の後でなくてもいい訳で、時系列的に整理して書いている訳ではなさそうです。『あら皮』(1831)に主人公のラファエルの友人としてラスティヤックは登場します。これはゾラのルーゴン・マッカール叢書やフォークナーの「ヨクナパトゥーファ・サーガ」にも通じると言うか影響を与えたと思われる。

 またこの小説はラスティヤックの教養小説とも読む事も可能です。地方からパリに出てきて法学を学ぶ。『三四郎』、『感情教育』に似ている部分があるのですが、出世的には成功しています。大臣や貴族院議員の伯爵にもなってしまいます。またゴリオ爺さんと冷たい娘たちの関係が『リア王』との類似しています。でもここでは心優しいコーデリアは不在で、娘に裏切られて屋根裏部屋で窮死します。

 その最期をみとったラスティヤックがその物欲的な成功原理の社会に挑戦状をたたきつけて『ゴリオ爺さん』は終わります。そしてスタンダールの『赤と黒』のジュリアン・ソレルのように確信犯的な出世主義を『従妹ベット』と『アルシの代議士』で実現して大臣、伯爵にまで上り詰めます。でもそれで幸せかどうかはまた別の話。

 写真は2004年にシャルル・アズナブールが80才の時に演じたゴリオ爺さんです。