『東京物語』の紀子の孤独について

f:id:seiji-honjo:20210402061501j:plain


 小津安二郎監督が原節子を初めて起用した『晩春』(1949)から、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)で彼女は共通して「紀子」という役名で出ています。前2作は婚期を逸しかけた?娘、最後は未亡人。

 さて小津本の20数冊目は『「東京物語」と日本人』という本で、書いたのは札幌出身の小野俊太郎という人です。しかも出版社が松柏社という大学の英語テキストや英米文学・文化関係の出版社で社長もよく知っています。

 で第4章の「紀子はどこの墓に入るのか」に感銘を受けました。タイトルはちょっと・・・ですが、内容はよかった。小津本はたくさんあって、『東京物語』についても、この作品だけに特化した本も数冊あって、論じられ尽くされているようで、きちんと取り上げていない部分もあるのだなと思いました。

紀子は尾道から上京して子供たちを訪ねる平山周吉・とみ夫妻の次男の嫁。次男は戦場から帰らないで8年たつ。実の長男と娘のそっけなさに比べてこの未亡人紀子の義理の親への献身ぶりが原節子の素の善良さ(のように見える)と演技で説得力を持つ。長男(山村総)はしがない町医者で、長女は美容院経営、守らなければならない自分の生活があるにしても、優しくない。

 この嫁/未亡人の善良さは亡き息子の嫁としても、周吉・とみを感激させる。できればいい人を見つけて再婚しなさいとまでいうのですが。この紀子の置かれている状況は健気な未亡人としてだけでなく、何か他に頼るものがないような、そこはかとない孤独が垣間見える。それを小野さんはきちんと指摘した。つまりセリフなどで説明されないけれど、おそらく東京大空襲で親兄弟を失っただろうという悲劇。たぶん紀子に実家があれば、周吉・とみは言及しない訳はない。言及しないのはもういないという事だろう。もういない身内についてはあえて触れないだろうと。

 紀子の孤独について、未亡人の一般的な孤独としても、それ以上に平山家の両親と一番下の娘(尾道で小学校教師をしている)を家族と思わざるを得ない実家の喪失が前提でないと理解できないかもしれない。そうすると単なる善良さだけではなく、仮想家族として実家に代わる存在として平山家の善きメンバーとつながりたいという願望があると。よい嫁ぶりを義父母に褒められるとそれは自然に優しくしたいと言う気持ちの裏側には偽善である部分もないではないと自覚してもいる。もちろん未亡人歴?8年の肉体的孤独に耐えているのでもない。義父母に唯一の身内として寄り添いたい≒縋りつきたいという自分の側の事情からの親切でもある事を自覚しているのだと。

 もうひとつ小野さんの卓見は『東京物語』の最後は、残された周吉と末娘の京子が、紀子三部作の最初の『晩春』の寡の父と娘の結婚の物語に回帰していくという指摘。僕はこの2つの指摘でこの本に十分満足しました。

 写真は紀子と京子。小津作品ではしゃがんで話す場面がけっこう多い。『小津ごのみ』で中野翠さんもふれているように、立ち話ではちょっと言う時でちかくに椅子がない時に、日本人はしゃがむ。いまの日本人のしゃがみ方はあまりきれいでないように思えますが、1950年代までのしゃがみ方、特に小津作品ではきれいです。外でなくて、縁側でも座らないでしゃがんでいる場面が『小早川家の秋』でもけっこうありました。女性だけでなく、男性も。それもパンフレットの表紙に使われてもいるので、しゃがむ事はけっこう美的な写真的な姿勢でもあるのでしょうか。