漱石/小津と見合い/恋愛

 『朝日新聞』に連載されていた『行人』(1914年、大正3年)は作品は知っているが、『彼岸過ぎまで』と『こころ』の間に入る後期三部作の2作目とは知らなかった。ちなみに初期三部作の『三四郎』、『それから』、『門』は何度か読んでいます。

 さてテキストは石原千秋の『漱石はどう読まれているか』(新潮選)です。石原さんはアマゾンで漱石本を探すとかなりの頻度で出てくる1955年生まれの日本文学研究者。文学理論・現代思想を限界を知った上で駆使した文学読解戦略本を多数出しています。今回のテキストも、漱石の同時代の批評家ら現在の費用の動向、読まれ方について個別に説明しています。これからアマゾンで注文した本が数冊くる予定です。

 さて小津安二郎との関連で言いますと、「紀子三部作」の『晩春』、『麦秋』に出て来る見合い結婚について、漱石の『行人』でも分析されていて参考になります。

 まず『行人』とは「友達」、「兄」、「帰ってから」、「塵労」の4編からなって、長野二郎という青年の視点からその友だち、兄との関連で男女のついての特に男の側からの意識について描かれていて興味深い面もあります。「兄」では一郎が妻の直を試すべく弟の二郎に二人きりで一晩泊まってほしいという何とも言語道断な依頼をします。もちろん二郎は断りますが、偶然そのような状況を経験します。

 「帰ってから」は、話が前後しましたが、「友達」と「兄」 では二郎が友だちを見舞って大阪にいるところに、母と兄夫婦が大阪に遊びに来ると言う設定でした。そして大阪から帰ってから一郎は二郎にその晩の事を話すように迫り、二郎は特に話す事もないので断る。その結果、兄は激怒し実家にいずらくなった二郎は家を出て下宿します。

 「塵労」では心配した二郎と両親は、一郎の親友Hにたのんで旅行に連れ出してもらう。二郎はHに旅行中の一郎の様子を手紙で知らせてほしいと頼んでいたが、Hからの手紙では一郎の苦悩が詳しくて書かれていた。この一郎の苦悩が見合いと恋愛の間で悩むと言う、半世紀後の紀子の話にもつながりそうなテーマなので、自分が関心のある複数の作家に共通するものをみつけて喜んだわけです。異なる作家を続けて読んだ事が無駄にはならない。

 さて二郎もそうですが一郎も西洋文学の洗礼を受けた時代の知識人(一郎)および予備軍(二郎)の結婚、誰と結婚するかよりもどのような結婚を選ぶかについての悩みです。つまり伝統的な見合いか、西洋の小説に描かれるような恋愛か。特に長男としてすでに見合い結婚をした一郎は妻の直とのあいだに愛があるかどうか、恋愛結婚ではないにしても、愛または恋愛感情があるかどうかについて悩むわけです。それも自分が妻を愛するかよりも、男として自分が愛されているかについて。今よりも男性の沽券(古臭い)が幅を利かせていた時代ですし。

 1910年代、明治末期から大正初期にかけて、当時の知的な若者はこのような事を悩んでいたのでしょうかね。それで『晩春』では父や叔母のすすめで見合い結婚をした紀子にすっきりしない思いでいたのですが、長谷正人という人が「反接吻映画としての『晩春』 占領政策小津安二郎」(『ユリイカ』2013年11月臨時増刊号「総特集小津安二郎 生誕110年没後50年)に書いた解釈で少しすっきりしました。これは5月のブログでも書いたような。占領軍のちゃらちゃら?した民主主義と恋愛至上?主義。戦中戦前では接吻という言葉でさえ使えなかったのに、急に接吻≒恋愛も奨励されるようになった日本への嫌悪が小津によって描かれ、封建的だとか伝統回帰だと言われたようです。

 ここでは戦後の「紀子三部作」の時代からさらに半世紀前の漱石の時代でも、同じように制度と自然の感情の狭間で揺れ動く人間のありようを知って興味深いと思いました。僕もちょっと見合い的結婚でしたし、かみさんは恋愛結婚的だと思おうとしているようです。つまり小津安二郎からさらに半世紀後でも、100年前と似た様な事を考えている事も自分の経験も含めて再認識しました。