ヴェンダースとフォークナー

『パーフェクト・デイズ』の冒頭に出てくる『野生の棕櫚』はたぶんフォークナーが好きなヴェンダーズの好みで、小説の内容は関係がないと思います。
 つまり同じように画面に出てきたり、セリフで言及される幸田文の『木』やパトリシア・ハイスミスの「すっぽん」(『11の物語』所収)のように、小説の内容が映画に関連してくるわけではない。
 『木』幸田文の庭の木々についての様々な思いを綴ったエッセイと主人公の平山がトイレ掃除の休憩時間に撮る公園の木漏れ日やアパートの出窓(と言うのか)で手入れしている鉢植えとリンクしている。「すっぽん」は平山のアパートに押しかけてくる姪が「ヴィクターは自分と似ている」(たぶんそんなセリフでした)と言う。
 「すっぽん」の主人公の少年ヴィクターは母親が料理用に買ってきたすっぽんをペットにしようと思っていたのに、母親に予定通りに料理されてしまう。怒り狂った少年は母親をナイフで刺し殺し、精神病院に収容されてしまう。「不安の作家」ハイスミスの面目躍如というか、不安よりも怒りが狂気に発展してしまう異常性を感じますが。もちろん姪は母親を殺そうと思っている訳ではなく、母娘の葛藤がある事を「すっぽん」という短編で示唆している。
 しかし『野生の棕櫚』の物語は、『パーフェクト・デイズ』の登場人物や物語との関連はなさそう。だから冒頭で言ったように、フォークナーが好きなヴェンダースの観客への何気ない?目くばせのようなものだと考えていいのでは。
 でも研究仲間のフォークナーの専門家が教えてくれたように、『パリ、テキサス』にフォークナーの『八月の光のペーパーが映像に出ていたとしたら、それはかなり内容的にも関連のある監督の観客への目くばせだと思います。
 共通点は自分を捨てた恋人を探すリーナ(『八月の光』)/自分が捨てた妻を探すトラビス(『パリ、テキサス』)、そしてその旅としてのロード・ノベル/ロード・ムービー。
 『パリ、テキサス』の制作過程を詳しく調べたら、監督は『八月の光』から、それを逆転させる形で『パリ、テキサスの構想を得たのかも知れませんね。
 でも映画は僕的にはライ・クーダーの音楽で記憶されます。それとアメリカの乾いた、広い空の殺伐さ。ちょっとカッコいい部分も含めて。映像に映えますね。
 それと比べると『パーフェクト・デイズ』はトイレはキレイだけれど、住んでいる場所は少ししょぼすぎる。でも逆よりはいいのかな。
 『パーフェクト・デイズ』から音楽、文学、そしてまた小津本を読みだしました。作者も平山(周吉)。もちろんペン・ネームです。タイトルは『小津安二郎』(新潮社、2023年)。
 写真は平山よりも格好良かったホームレスです。舞踏家の田中泯、78才。もちろん左はヴィム・ヴェンダース