漱石作品の兄と妹

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 『虞美人草』(明治40年、1907年)の藤尾と異母兄の甲野欽吾、甲野の親友の宗近一と妹糸子。『三四郎』(明治41年、1908年)の三四郎が憧れる(翻弄される?)美禰子と兄の里見恭助、美禰子と相愛?の野々宮宗八と妹のよし子。『それから』(明治42年、1909年)の代助の友人菅沼の妹の美千代。『行人』(1913)の一郎と二郎の妹のお重。『明暗』の津田の妹のお秀。漱石の作品には妹がたくさん登場します。

 主人公である帝大生やその卒業生である高等遊民または学者の妹、または友人の妹。それは明治時代後半の、いや昭和になっても見合いを旧臘だと忌諱し、でも積極的な恋愛の場はないので、友人の妹は家柄の点でも人柄を知っている点でも絶好の恋愛→結婚の相手だと思います。それと長男への家督の相続と家族への支配か離別の問題と、友人の妹または兄の友人との関係が繰り返される。

 ファムファタールとして有名な『虞美人草』の藤尾は作者の意図に反して人気が出たと言います。積極的に男性に近づきますが、相手がもともと無言の約束のあった恩師の娘と結婚せざるを得ない。これも学資などの援助を受けた恩返しともお金に縛られたとも言えます。また藤尾の母は血のつながらない息子の欽吾が相続した財産をあてにします。つまり相続は家督と財産の両方が絡み、女性は父か兄か夫か息子の財産に依存しなければならない時代の不公平さを感じます。

 『三四郎』の美禰子は三四郎に好意を示し、野々宮との結婚の可能性を残しつつ、兄が結婚するので家を出るべく別の男性と婚約をします。それは結婚した兄の家に残る妹の生活の束縛と制約を嫌ってのことだと思われます。結婚した兄の家での妹はよくて?小姑、実態は食客、居候、掛人にならざるをえない。『行人』(1913)での妹お重もしきりに早く結婚をして家を出るように言われます。逆に家を出たら、『明暗』のお秀のように兄の津田をお金や妻(兄嫁)への甘い態度のことで責める事も可能になります。

 『行人』(1913)のお重については、ついまた小津安二郎の『麦秋』の紀子の事を連想します。兄が家督を相続し家長となったら、妹には居場所がなくなるという事実。ま、家が広ければ隠居した老夫婦も、兄弟も住み続けることは可能だろうけれど。また紀子は兄嫁と仲良くやっていける性格の良さと聡明さがあったのでしたが。ここでも兄の友人と結婚するルーティンが繰り返されています。

 そしてそれが1900年代初頭と1950年前後も変わらない結婚の習慣があったのだと気づきます。じつはかみさんの両親(昭和元年うまれと7年生まれ)も、お義父さんが大学の友人の妹を見染て?結婚したのでした。ちょうど1950年前後、しかも岳父と友人も帝大生でした。じゃなくて時代的には東大生か。

 写真は白い花のユーフォルビア、肉料理に合うローズマリー、葉の色が変わるハツユキカズラです。