芸能と芸術

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 1995年に53才で亡くなってしまったドン・プーレンを聞き続けています。ルース・ブラウン、ジミー・ラッシング、ニーナ・シモンなどの伴奏を担当した後に、1972年に20才でアート・ブレーキ―のジャズ·メッセンジャーズ、1973年にチャールズ·ミンガスのグループ内に参加して1975年まで共演しました。

 チコ・フリーマンを迎えたWarriors (1978)ではまだ30代前半、New Beginnings (1989)ではゲーリー・ピーコック(b)とトニー・ウィリアムズと、Random Thoughts (1990)では右手を鍵盤の上でころがすクラスター(音のです)が出ています。アフリカとラテンのリズムを強調したOde to Life with the African-Brazilian Connection (1993)とLive...Again: Live at Montreux with the African-Brazilian Connection (1993)というアルバムを出していますが、その時の映像を見るとケニー・ドーハムのEl Matadorを演奏しているドン・プーレンが背筋をのばした古武士のような風格で例のギャロン、ギャロンという右手の音のクラスターを気持ちよさそうに出していました。

 盟友のデヴィッド・マレーとの共演も多くShakill's Warrior (1991)、Shakill's II (1993)では気持ちよさそうにオルガンを弾いています。ブルージーな、時には演歌?すれすれのメロディーにもなっていて、時々アメリカの黒人ミュージシャンの音楽のジャンルに関する意識と言うのは、ジャズ・ミュージシャンでも、R&Bやソウルなどのフレーズやムードを気にしないで持ち込んでくるような気がします。

 と言うかミュージシャンの意識と言うのは、リスナーのわれわれとは違い、そんなにジャンルを意識しない。そのように明言するミュージシャンも多いです。ジャンルを横断する、芸能と芸術の境界を越境するミュージシャンや音楽の方が普通かも知れません。