ジャズ 自由と対話

 木曜日の授業のレジュメを水曜の朝に大学の授業用のポータルというのかサイトというのか、そこにアップします。いちおう翌日の午後の授業の予習用ということで。

 「現代文化論」という科目名で、ほぼ「アメリカ文化」をやっていますが、できるだけ「現代文化」的な内容にしようとしています。でも明日は80分ジャズについて。で、そのまとめとして「ジャズの本質として自由と対話」としてみました。

 いろいろ考えて、ジャンルとしてジャズはほぼ成長はないなと愚考しています。1990年代に20~30代の黒人ミュージシャンはヒップホップを最初の音楽として聴いていると思います。その後に自分の音楽をしてジャズを選んだとしても、前の世代のジャズ・ミュージシャンとは、ジャズに対する姿勢というか態度というか、スタンスが異なっていると。ジャズはモダン・ジャズになった時に、、ダンスや娯楽としての音楽から、観賞用というか芸術になって、黒人のコミュニティから離れてしまった。

 ジャズは1970年代に60年代のモードや、フリーやフュージョンを展開して、せいぜい1980年代にまでその余波があったとしても、1990年代いこうは独自の発展はないと思います。もちろんその後も演奏としてのレベルはミュージシャンの音楽的レベルが高ければ優れたジャズの音楽になるけれど、それは1980年代までのジャズの繰り返しでもあるかなと。

 で、それでもジャズの自由(即興、アドリブ)と対話(インタープレイ)はこのジャンルのとっても重要な特徴だと言いたい訳です。もちろんフリー・ジャズもあるけれど、普通のジャズのアドリブは和音の制約はあるけれど、その中での選択の自由はある。そしてミュージシャン同士の対話的な演奏(インタープレイ)はとてもすばらしい。こんな風にアーティスト同士のコミュニケーションが成立するアートはあまりないと思います。

 10か月ぶりくらいかな、大丸デパートの「すし善」に行ってきました。お店オリジナルの冷酒を頼むと、写真のように竹の器で。少し甘いけどおいしかった。

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