ジャズと自由

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  スタンリー・カウェル~レジ―・ワークマンという流れでまたファラオ・サンダースを聞いています。40年間あまり好きでなくて聞いていなかったこのジャズ・サックス奏者を2012年頃スピリチャル・ジャズ絡みでやむを得づ?聞き出して好きになりました。その音楽がです。タイトルやジャケットや本人の風貌は未だに・・・

 コルトレーンの長男説とは、1960年代のモダン・ジャズの方向をモードからフリーに向け、元祖スピリチュアル・ジャズとも言える音楽を作り上げた真面目さ、責任感がその理由です。もしコルトレーンがドラッグをやっていたとしたらそれは音楽のためであるかなと。長男はその家族の中で男親は既存の価値観の体現者ですし、新たな企てをするとなると自分で考えて、未知の領域に挑戦せざるを得ない。

  それに対して次男のサンダースはコルトレーンの作った新しいジャズを自分の価値観で継承と発展と逸脱ができる。この次男サンダースは67年に兄コルトレーンが亡くなった後しばらくは70年代前半くらいまでは比較的継承路線、そして1971年の『ブラック・ユニティ』がコルトレーン路線を発展的に継承した分岐点のような気がします。特に気に入って、快速エアポートの札幌~千歳間の37分をこの同じ演奏時間の「ブラック・ユニティ」を何度もきいて出張に出かけました。

  時代の影響なのか時々フュージョン的なアルバムも出しつつ、『エレヴェーション』(1974年)のようにフリーキーなサウンドを全体の中でバランスを取って使い、自由と抑制を意識したような。

  『ジャーニー・トゥ・ザ・ワン』(1980年)では後に何回も演奏するYou’ve Got to Have Freedomをここではフュージョン的な聞きやすい演奏ですが、1981年のノーマン・コナーズ(ds)との共同名義Beyond a Dreamでそして1982年のLive!で、長尺のパワフルな演奏に発展させています。

  1987年にはアフリカやスピリチュアルを志向する『アフリカ』、Oh Lord, Let Me Do No WrongPrayer Before Dawnを発表しています。

  そして1990年と92年にはWelcome to Love, Cresent with Love, Ballads with Loveと冗談で「愛の三部作」とでも言いたいようなアルバムを作っていますが、邦題はもっと恥ずかしい。でもLoveってコルトレーンのLove Supremeもあるように英語やキリスト教の文化ではごく普通なのですが、日本語と文化に置き換えると恥ずかしく感じてしまう。ファラオ・サンダースのせいではないけれど、40年も近づかないでいた理由の一つです。

  やっぱりジャズって自由がキーワードだと思う。即興はクラシックでも一部は使うけれど、即興を中心としたジャンルはジャズかな。ロックもギターの即興部分が多くなったけれど、最初からアドリブ(自由へ、自由に)が中心イディオムの音楽ジャンルはジャズだと思います。それに70年以降はロックやソウルのリズムでフュージョンやジャズ・ロック、1980年代にエスニック・ミュージックが流行った時は、もともとのルーツを意識したアフリカ的なサウンド、環境や地球や自然への意識したジャズは、ジャズが基本にある音楽としかいいようがないと思います。

  たぶんミュージシャンもジャズからスタートして、自分の個性と時代の流行の中で音楽を作るときにあまりジャンルは意識していないと思います。ただレコード会社はジャズというレッテルを商業的な理由で貼ったり外したり。リスナーもコアなジャズ・ファンは誰それはジャズから転向したとかしないとか。

  散歩しながら聞いているサンダースの音はアフリカ的でもラテン的でもインド的でも、ボーカルが入っていても彼のサウンドだと思います。時々フリーキーなフレーズを交えつつ、温かいテナーの音。半世紀以上もジャズや音楽の世界で生き抜いてきた音楽家の境地はなかなか聞いていて心地よい。それは自由っていう事なのかも知れません。

  写真はアリス・コルトレーンのアルバムでジョー・ヘンダーソンと共演した時。