『BOSCH/ボッシュ』の年末でした

 20日(月)からあのハリー・ボッシュのテレビ・シリーズを見てます。2015年ではじまるシーズン1から、2021年のシーズン7で終了。Amazonビデオで配信されています。シーズン1つで平均10エピソード、合計68エピソードもあるのですが、29日(水)で見終わりました。たぶん45~50時間くらい。1日4~5時間見ていた計算になります。

 ハンフリー・ボガート似の細面のタイタス・ウエイヴァリーは悪くない。もう少し華があった方がいいのですが、声がいい。これは俳優としては重要です。それとシリーズによって少しだけ体重の増減があって、もう少し体を絞った方がいいかな。特にジャケットを着ない事が多いので。それと腕にタトゥーが多すぎます。それもしょぼい絵柄。

ボッシュ・シリーズ20作をシーズン7にアレンジしたので、どの作品のあのキャラクターがどこに出ているか探すのも面白い。 シーズン1は『シティ・オブ・ボーンズ』(2002)と『エコー・パーク』(2006)を中心に。『シティ・オブ・ボーンズ』の骨の発見が、『エコー・パーク』の連続殺人犯レイナード・ウェイツ。

 飼い犬が骨を発見した老医師をあのスコット・ウィルソンが演じています。犯人役のディック・ヒコックを演じた『冷血』は1967年。『華麗なるギャッツビー』(1974年)ではディジーの夫トム・ブキャナンの愛人マートルの夫役(車の修理工場)。妻を間違って轢いてしまったディジーではなく。ギャッツビーが運転していたと思い込み、銃で殺してまいます。

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 ボッシュの前妻エレノア・ウィッシュは『24時間』のサラ・クラークが。『24時間』は14年前に新築した家に引っ越した時に1年間テレビがなくて?レンタルのDVDで『24時間』や『プリズン・ブレイク』を見ていました。いまも1年前からテレビの画像が映らなくなり、音声だけで聞いています。それとNHK
プラスをパソコンでみて、朝の連ドラや相撲はそれを視聴しています。

 『Boschボッシュ』の細かい報告は次の項目で。

支部大会終わる

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 2年ぶりの対面とZoomのハイブリッドによるアメリカ文学会北海道支部の第31回支部大会が終わりました。支部長、事務局長、幹事(2名)がほぼ仕切っていますが、僕も幹事の一人。第1部の特別講演会の司会を仰せつかって「奴隷文学」の勉強をひと月位しました。

 退屈な?日々の励みになって良かったです。ちょうアマゾン・プライム会員の見放題の映像に新しい奴隷文学の映像化があってずいぶんと参考になりました。でも講演の藤平先生によると、文学の力の方がすごいんだと。確かに『地下鉄道』を本当に地下鉄に近い映像にしてしますと、それで終わりになってしまいます。視覚的に見せられるとそこで終わって、想像力を働かせる余地がない。もちろんそれなりに工夫をしている映像ですけど。

 今回は懇親会はしないで、講演とシンポの講師の4名とこちらの4名で慰労会という形にしました。ゲストがタバコの煙が苦手というので、禁煙の会場を探して、結局駅前のアスティ45の「海へ」。ここはけっこうそばの宴会の声がうるさいのですが、選択肢がなくて。でも7時から2時間のところ3時間もいさえてくれていいところもありました。

 でも後ろの老人(男性)の宴会の酔っ払いが2度もカーテン越しにうちの宴会に倒れ込んでくるというトラブルも。最後には酔いつぶれて仲間に運ばれて行きました。元気がいいんだか、バカなのか。

 宴会での藤平先生のアメリカ文学界の様々なエピソード/ゴシップがとても面白かった。57才でなくなったフェミニスト/研究者の竹村和子さんとの交流は悲しくもあり。竹村さんは名古屋でのアメリカ研究のサマー・スクールでもご一緒したし、北海道の支部大会にも特別講演の講師としても来て頂いた。その時はメルヴィルの「バートルビー」についてフランスのアガンベンの「バートリビー、偶然性について」(1993年)の紹介も含めてすごく刺激的でした。「絶対的な拒否」が解放に通ずると言うような。

 その他いろいろの話が面白かったのですが、ここで書くことは・・・

例えば、藤平先生は中央大学で定年を迎えたのですが、その前に成城大学にもいて、冨山太佳夫さん、石原千秋さん、木敏夫先生たちとずいぶんと飲み会をやったとか。

 英文学の冨山さんは僕的には漱石に批判的な人だなぁと思っていました。彼の本も5冊くらいあるのですごい研究者だなぁと思いつつ。当時成城にいた小森さん(北大国文出身)や石原さん(漱石研究)が始めた『漱石研究』の創刊号と最終号(第17号)で漱石批判的な文章を書いていてすごいなぁと思っていました。つまり石原さんと小森さんは研究の公正性のためにあえて漱石側でない、でも尊敬する同僚の研究者(冨山さん)に書いてもらったのだと思います。

 さて週明けの今日はMR検査を受けて、市立病院から大通りの「チャイナ・パーク」へ。10月15日いらい。1時半すぎて空いているかなと思ったら、けっこう混んでいます。定番の生ビール+紹興酒(グラス)と餃子。あとからねぎラーメン。食後買い物をして帰宅。

 写真は金曜のドカ雪の夕方、食堂から撮りました。手前がテーブルの端で、ウッドデッキの鉢が雪帽子に。その向こうは公園の入り口と川向こうの小山です。

『預言者』の作者とセクシュアリティ

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ペーパーバックの読み手のN野君からRobert Jones, Jr.のThe Prophetsを教えられた。今週の末の支部大会で現代と奴隷制文学についての講演がある予定です。それでN野君がこんな本がありますよって情報をくれたのです。でもペーパーで2500円もするのです。

 ミシシッピの農園で働く二人の黒人男性。白人の農園主は女性の奴隷を××しますが、同時に男性の奴隷に黒人女性と子供を作れと強制します。働き手=財産が増えるからです。でもこの主人公の少年(青年)はそれを拒絶する、なぜか強制的な××を忌諱するからか。それもあるかも知れませんが主人公のセクシャリティの問題でした。これはありそうでなかった視点で、黒人男性(奴隷)の同性愛の物語でもある。著者によればBlack queer love has always existedだそうです。

 そのうちにN野くんからのメールで、彼のツィツターをロバートが見つけて紹介し、複数のアフリカ系アメリカ人が反応したそうです。それではどんな人物か知りたくて、彼のインタビューの動画を見つけました。するとチャーミングな若者でおしゃれ。話し方はもちろん知的です。あのジェームズ・ボールドウィンを記念する賞の受賞か最終候補になったようです。

 でも面白かったのは、インタビューワーが黒人女性、白人女性、白人男性の場合の彼の話し方が違う点でした。簡単に言うと黒人女性が相手の時が一番くつろいでいて、白人男性との時は緊張というのは違うでしょうが、構えているというか。つまりロバートもゲイの青年だと思います。身振りや話し方からそう思いました。柄物のシャツに蝶ネクタイもカラフルでオシャレですが、ゲイっつぽい。ちろん悪い意味で言っているのではもありません。

今度は『若草物語』

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 27才のアメリカのアイルランド系のサーシャ・ローナンという女優が『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』(2019)で次女のジョーを演じています。『赤毛のアン』の映像と原作(翻訳)を読んでいて、『若草物語』についても関心が飛び火したので。こちらの方は4人の娘の個性の違いというか、俳優の演技のアンサンブルも楽しめます。

 サーシャは2017年の『レディ・バード』で注目されたらしいです。監督は『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』と同様グレタ・ガーウィグというアメリカの女性監督。

 『若草物語』の映画化が多いのは、その時代の旬の若い女優を競演させることができて、観客も自分の好みの女優の演技を楽しむ事ができる。でもメグ、ジョー、べス、エイミーの4姉妹の個性が描き分けられているとは言え、作家志望でお転婆の次女ジョーを誰が演じるかが成功のポイントとなると思います。常識をぶち壊し、物語≒事件が発生するからです。

 3回目の映画化1933年版はジョーがキャサリン・ヘップバーン。これはぴったりだと思います。1949年版ではジューン・アリソン。彼女は良妻賢母型の女優なのでキャスティングとしてはいまいち。1994年版ではウィノナ・ライダー。これはまだ問題を起こす前の彼女ならOKか。

 そしてサーシャのジョーはとても生き生きとしてぴったりでした。いわゆる美人ではないけれど、その演技や動きを見ていて心地よい。スティル写真ではその魅力は伝わらないのが残念です。アマゾンのプレミアム会員特典映像で偶然発見しました。

 このちょっと変わった名前はアイルランドだからか。シアーシャとも表記するようですが、発音記号をみるとサーシャのようです。ロシアのアレクサンドルまたはアレクサンドラの愛称もたしかサーシャ。ローナンはいかにもアイルランド的ですが。

 因みに朝の連ドラの女の子がるいと名付けられています。On  the Sunny Side of the Streetが主人公と亡き夫の物語に絡んで繰り返し流れ、歌っているルイ・アームストロングから名前が付けられたようですが、ルイは男性名。それが分かってつけるんだろうか。森鴎外の子供たちは於菟(オットー、長男)、茉莉(マリ、長女)、杏奴(アンヌ、次女)、不律(フリッツ、次男)、類(ルイ、三男)とドイツ系の名前を付けています。もちろんルイ(類)は男子。

 たまたま『若草物語』の作者はルイーザ・メイ・オルコットで、ルイーザはルイの女性形。なのでルイ・アームストロングに因んでつけたいと思っていて、生まれた子が男子ならルイでOK。でも女子だったらルイーザとした方がいいと思います。連ドラのスタッフ(脚本、演出、製作)の誰かが知っているのなら、ちょっとでも説明をすべきだと。知らないのなら恥ずかしいかな。でももしかしたらその点を説明している場面を見逃しているかも。

 でもう一度『若草物語』に戻ると、キリスト教的倫理が少女たちの、周りの大人たちの言動の背後に張り巡らされている。『若草物語』はクリスマスにはじまり翌年のクリスマスで終わる。また聖書の内容に基づいた主人公クリスチャンの誘惑と苦難を克服するジョン・バニヤンの『天路歴程』の真似をして巡礼ごっこをする。さらにマーチ一家の主人は牧師。結婚などしないと言っていたあの奔放なジョーも2作目では結婚します。姉妹たちの日常の描写やいたずらや冒険も楽しいけれど、最終的には当時の社会の規範に取り込まれてしまう。

 でも結婚という規範に回収されるのですが、物語と物語内物語(ジョーが書く『若草物語』)とをリンクする娯楽的なメタ・フィクション的構成。出版社の編集長とジョーの間で、主人公を結婚させるかどうかの議論がユーモラスに描かれます。読者が好む結末≒売れ行き、芸術と経済の葛藤。そして妥協的結論。そのプロセスを戯画的に表現する事で、ただ単純に既存の常識や経営的な観点からの文化事業ではないと言うスタンスを観客に示す。

 そして見ていて面白いのは、日常の生活の描写。食事の用意や遊び、女子なので服装の話。これがリアルに、そして映像的に描写されています。それとキリスト教の教義って言うのはクリスマスなどのお祭りで楽しく学べるようになってうまいなと思いました。冒頭から繰り返される『天路歴程』がごっこ(遊び)で、誘惑や葛藤を克服して正しい大人(人間)になっていくように訓練される。

 ま、それが理想的な形で実現する4姉妹と母親だからですけれど、。あのジョーも結婚するけれど、家庭に収まらない。小言が多かった父のおばさん(メリル・ストリープがうまく演じていました)が亡くなってメグに残した邸宅を学校にすると言う形で、将来の女性の可能性を育むヴィジョンと可能性を表現していました。

『荒地』の詩人たちの恋

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 1970年の『中桐雅夫詩集』(現代思潮社)の「中桐雅夫について」(鮎川信夫)を読みました。どうも奴隷文学について小説を読んだり映画を見て、少々疲れる。それで最近読んだ本を再読していました。『荒地の恋』も。この恋も少々つらいけれど、19世紀の奴隷制度の話に比べれば・・・

 本人は「地獄」とか言うけれど。確かに奥さんや相手もノイローゼになるけれど、それでも長期にわたる制度的な監禁と虐待の許容される社会とは比べ物にならない。それで、少しほっとするのでしょうか。前述したように面倒見のいい鮎川信夫。ある程度は知っていたけれど戦後『荒地』だけでなく、その前からも若き詩人仲間のリーダー的存在だったようだ。

 神戸の中桐雅夫(1919‐83)が1937年に詩誌『LUNA』を創刊。後に『LE BAL』になる。鮎川信夫と連絡をとった中桐雅夫は銀座の喫茶店コロンバンに絣の着物と袴で現れる。まだそんな時代だったんですね。なんか鮮烈な登場のし方で、ヴィジュアルには田村隆一の海軍将校の軍服姿に匹敵します。

 後述の北村太郎の自伝『センチメンタル・ジャーニー』で、「この家出青年は白絣の私服に袴をつけ、実に颯爽としていた」と記しています。白い絣の着物と紺か黒の袴も颯爽としていいですね。いちど着てみたかった。

 後に5回結婚した田村ですが、海軍将校の軍服って白いスリムな制服が容姿を数段アップする。『トップ・ガン』のトム・クルーズ、『追いつめられて』のケヴィン・コスナーなど。

 中桐雅夫には、僕は英文科の頃でしょうか、オーデンの『染物屋の手』(1973年、晶文社)の訳者として出会いました。鮎川信夫(1920‐86)は中桐に会った後1942年早稲田英文科に卒論『T・S・エリオット』を提出。出征、病気のため帰還。戦後1947年『荒地』を発刊。戦後詩のスタートとなる。確かに20代の若い詩人たちにとっては、敗戦後の日本は、エリオットの第1次大戦後のヨーロッパと同様に、というか文字通りのまさに「荒地」だったのでしょう。

 思潮社の『中桐雅夫詩集』発刊の頃は詩人は50代だけれど、1980年『会社の人事』で歴程賞受賞、ほぼ60才か。読売新聞社の記者として25年、その会社の組織と人間の軋轢、葛藤が端的に表れる人事。そんな詩を書いて詩集を出して、評価され退職。その後法政大学、フェリス女学院大学の講師をしています。鮎川や北村太郎のように翻訳もしていますが、あまり売れそうにない?ミステリーが多い。63才で心不全で亡くなりますが、どうもアルコールで肝臓がやられていたようです。僕も気を付けなくては。

 鮎川信夫の方は、戦後詩人のリーダー格として詩や詩論、そして1960年代になっても吉本隆明との対談など積極的に文壇的、社会的に活動しています。クイーンやクリスティ、そしてドイルの翻訳も精力的に。最後は甥の家でゲームをしていて(観戦をしていて)倒れてなくなります。66才。その時に最所フミが妻である事が親しい仲間にも初めて知られる。彼女は英語の使い手として鮎川の仲間にも知られていたのですが、なぜか秘密にしていたようです。何故かが知りたいですが。

センチメンタル・ジャーニー』の方は北村太郎の原稿と口述を正津勉がまとめたもの。僕は草思社文庫で読みました。50代の『荒地の恋』に至る前の部分がよく分かります。幼い時の田舎での遊びや、父親が浅草で蕎麦屋を始めて、下町で少年時代を過ごす。中学から詩や短歌をはじめ、商高時代に田村隆一たち出会う。戦前の『荒地』前の時代。東京外語大学に入り20才頃に結婚。戦争が激しくなり徴兵にかかりますが、日本で敗戦を迎えます。

 戦後東大に入りなおす。妻と息子が事故で亡くなります。卒業後は証券会社等を経て朝日新聞校閲部で20数年を過ごします。その間詩集はあまり出さず、英米のミステリーの翻訳。退職に近い50代になって「荒地の恋」に突入するんですね。それまで地道にこつこつ生きてきた詩人は、この恋=不倫もあって詩作もはじける。でもその恋も終わり、別な若い女性(詩人のファン)との恋もはじまります。最後は血液の病気で亡くなります。66才。

 葬式に来た人は亡くなったはずの詩人がそこにいるのに驚きますが、そっくりだった詩人の双子の弟でした。

 田村隆一の最初の妻は鮎川信夫の妹。2人目は岸田衿子岸田國士の長女で、岸田今日子の姉。岸田森の従弟。谷川俊太郎の最初の妻でした。21才の谷川俊太郎が僕の生まれた1952年に出した『二十億光年の孤独』にしびれたのは18才の時。記憶では国語の受験参考書に出ていた。浪人の時かな。長田弘(1939‐2015)が26才の時の『われら新鮮な旅人』(1965)を20才で読んだ。そんな日々を懐かしく思い出す年末の日々。テニスと病院と学会と。

 写真は院生時代の非常勤先の英語の先生たちとの懇親会。ガロみたいに長髪にパーマでスーツ。開成高校だったので、立憲民主党の新党首の母校です。

ハリエット、ザ・ヒーロー

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多数の逃亡奴隷の脱出を助け「女モーゼ」と言われた、ハリエット・タブマンの一生を描いた『ハリエット』をアマゾンで見ました。2008年に勤務先の大学と提携をしている大学に短期語学研修の学生の引率で3週間ほど滞在しました。大学はアメリカとの国境に近いカナダのセント・キャサリン市にありました。研修の一環で市内見学をした時に案内をしてくれた白人女性がハリエット・タブマンが一時期そこの滞在してい事を誇らしげに話した事を覚えています。

 南部の奴隷州から北部の自由州へ逃亡した奴隷たちが、例えば映画ではフィラデルフィアに滞在しているハリエットや地下鉄道の関係者たちが、北部の州の逃亡奴隷について法的に保護しない法律ができたので、さらに北部へ、そしてカナダへの逃亡を計画するエピソードが描かれています。

 映画は一言で言えば女性の奴隷の苦難を描いた前半ですが、後半は映画のポスターでもわかるようにヒーロー映画になってしまった。

 ハリエットにシンシア・エリヴォというイギリスの黒人女優を起用した点について批判があったようです。彼女の顔を見ていて、ウーピー・ゴールドバーグを連想しましたが、イギリスで『天使にラブソングを』のミュージカル化の主演を演じ、さらに『カラー・パープル』でもウーピーの演じた役をやったようです。相貌の類似があって、かつ演技力も歌唱力もあったからの起用でしょう。しかも映画の主題歌の歌唱がすごい。もともとシンガー/ソングライターでもある。

 The Underground Railroadの監督はバリー・ジェンキンスという黒人男性でしたが、こちらはケーシー・レモンズという黒人女性監督。どうも黒人の物語が描かれるときに誰が語るかという問題が起きてくるようです。『ナット・ターナーの告白』が発表された1970年には作者が白人男性のウィリアム・スタイロンだった点に少し(かなり)批判が。1985年にアリス・ウォーカーの『カラー・パープル』が映画化された時にも、監督がスティーヴン・スピルバーグというユダヤ系ですが白人男性だった点にも、スパイク・リーがかみついた。そのリーは1992年黒人のヒーロー、マルコムXデンゼル・ワシントンの主演で映画化します。

 それとどのように語るかという問題。The Underground Railroadの原作と映画でもふれたように、リアルに描くとつら過ぎるので、少しマイルドにしようとすると、寓意的ならいいけれど娯楽色が強くなったり、主人公がヒーローになってしまいます。スティルでは銃を持って帽子をかぶったハリエットがガンマン(ガンウーマン)に見えてしまう。監督のケーシー・レモンズは、若い時の女優としてのキャリアの中で『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターのFBI訓練生の仲間を演じています。

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デフォー~カミュ~ペストと監禁

 カミュの『ペスト』(1947年)のエピグラフ(小説が始まる前の冒頭の言葉)。

「ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。」

これはダニエル・デフォーの『ペスト(の記憶)』(A Journal of the Plague Year, 1722)からの引用です。何とも分かりずらい訳ですが、これに関する多くのコメントはこの訳によっています。デフォーが5才の時のロンドンの1965年のペストの記録です。60過ぎて執筆しているのでいろんな資料によって物語を再構成したもの。もともと専業作家のいない時代ですので、ジャーナリスト出身の特技を生かして。

 「他のある種のそれ」ってペストだとして、それが表現するものはカミュの場合はナチス・ドイツの占領下のフランス(の監禁状態)。「実際に存在するあるもの」が「監禁状態のフランス」で、それを「存在しないあるもの」=(1947年には存在しない)ペストで表現したという事か。けっこう難しいですね。カミュの『ペスト』は最初の方では、病原のネズミが何回も出てくるので、少し読みずらいです。

 一方デフォーの時代には存在したというよりもロンドンに襲い掛かったペストと同様現在のパンデミックの状況における「ある種の監禁状態」をどのように見るか。確かに感染を増やさないためにstay homeと言われたり、不要不急の外出はしないようにと言われ続ける事は「ある種の監禁状態」と言えない事もない。

 でも前項でふれた『地下鉄道』の奴隷制においては南部の奴隷州での黒人たちのおかれたのは「究極の監禁状態」と言ってもいいように思います。その監禁状態がリアルに描かれるのですが、架空の「地下鉄道」によって少し寓意物語的に娯楽的に読み続けられます。解説の円城塔さんも「ページをめくり続ける間に、息が詰まったり、胸が苦しくなったりした場合には、すぐに休憩すること」とアドバイスしています。それほど重く、苦しい小説でもある。円城さんは2014年の札幌での全国大会の時に特別講演の講師として来て頂いた。懇親会でもお話をしましたけれど、さっぱりとした感じのいい作家でした。