デフォー~カミュ~ペストと監禁

 カミュの『ペスト』(1947年)のエピグラフ(小説が始まる前の冒頭の言葉)。

「ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。」

これはダニエル・デフォーの『ペスト(の記憶)』(A Journal of the Plague Year, 1722)からの引用です。何とも分かりずらい訳ですが、これに関する多くのコメントはこの訳によっています。デフォーが5才の時のロンドンの1965年のペストの記録です。60過ぎて執筆しているのでいろんな資料によって物語を再構成したもの。もともと専業作家のいない時代ですので、ジャーナリスト出身の特技を生かして。

 「他のある種のそれ」ってペストだとして、それが表現するものはカミュの場合はナチス・ドイツの占領下のフランス(の監禁状態)。「実際に存在するあるもの」が「監禁状態のフランス」で、それを「存在しないあるもの」=(1947年には存在しない)ペストで表現したという事か。けっこう難しいですね。カミュの『ペスト』は最初の方では、病原のネズミが何回も出てくるので、少し読みずらいです。

 一方デフォーの時代には存在したというよりもロンドンに襲い掛かったペストと同様現在のパンデミックの状況における「ある種の監禁状態」をどのように見るか。確かに感染を増やさないためにstay homeと言われたり、不要不急の外出はしないようにと言われ続ける事は「ある種の監禁状態」と言えない事もない。

 でも前項でふれた『地下鉄道』の奴隷制においては南部の奴隷州での黒人たちのおかれたのは「究極の監禁状態」と言ってもいいように思います。その監禁状態がリアルに描かれるのですが、架空の「地下鉄道」によって少し寓意物語的に娯楽的に読み続けられます。解説の円城塔さんも「ページをめくり続ける間に、息が詰まったり、胸が苦しくなったりした場合には、すぐに休憩すること」とアドバイスしています。それほど重く、苦しい小説でもある。円城さんは2014年の札幌での全国大会の時に特別講演の講師として来て頂いた。懇親会でもお話をしましたけれど、さっぱりとした感じのいい作家でした。