今度は『若草物語』

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 27才のアメリカのアイルランド系のサーシャ・ローナンという女優が『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』(2019)で次女のジョーを演じています。『赤毛のアン』の映像と原作(翻訳)を読んでいて、『若草物語』についても関心が飛び火したので。こちらの方は4人の娘の個性の違いというか、俳優の演技のアンサンブルも楽しめます。

 サーシャは2017年の『レディ・バード』で注目されたらしいです。監督は『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』と同様グレタ・ガーウィグというアメリカの女性監督。

 『若草物語』の映画化が多いのは、その時代の旬の若い女優を競演させることができて、観客も自分の好みの女優の演技を楽しむ事ができる。でもメグ、ジョー、べス、エイミーの4姉妹の個性が描き分けられているとは言え、作家志望でお転婆の次女ジョーを誰が演じるかが成功のポイントとなると思います。常識をぶち壊し、物語≒事件が発生するからです。

 3回目の映画化1933年版はジョーがキャサリン・ヘップバーン。これはぴったりだと思います。1949年版ではジューン・アリソン。彼女は良妻賢母型の女優なのでキャスティングとしてはいまいち。1994年版ではウィノナ・ライダー。これはまだ問題を起こす前の彼女ならOKか。

 そしてサーシャのジョーはとても生き生きとしてぴったりでした。いわゆる美人ではないけれど、その演技や動きを見ていて心地よい。スティル写真ではその魅力は伝わらないのが残念です。アマゾンのプレミアム会員特典映像で偶然発見しました。

 このちょっと変わった名前はアイルランドだからか。シアーシャとも表記するようですが、発音記号をみるとサーシャのようです。ロシアのアレクサンドルまたはアレクサンドラの愛称もたしかサーシャ。ローナンはいかにもアイルランド的ですが。

 因みに朝の連ドラの女の子がるいと名付けられています。On  the Sunny Side of the Streetが主人公と亡き夫の物語に絡んで繰り返し流れ、歌っているルイ・アームストロングから名前が付けられたようですが、ルイは男性名。それが分かってつけるんだろうか。森鴎外の子供たちは於菟(オットー、長男)、茉莉(マリ、長女)、杏奴(アンヌ、次女)、不律(フリッツ、次男)、類(ルイ、三男)とドイツ系の名前を付けています。もちろんルイ(類)は男子。

 たまたま『若草物語』の作者はルイーザ・メイ・オルコットで、ルイーザはルイの女性形。なのでルイ・アームストロングに因んでつけたいと思っていて、生まれた子が男子ならルイでOK。でも女子だったらルイーザとした方がいいと思います。連ドラのスタッフ(脚本、演出、製作)の誰かが知っているのなら、ちょっとでも説明をすべきだと。知らないのなら恥ずかしいかな。でももしかしたらその点を説明している場面を見逃しているかも。

 でもう一度『若草物語』に戻ると、キリスト教的倫理が少女たちの、周りの大人たちの言動の背後に張り巡らされている。『若草物語』はクリスマスにはじまり翌年のクリスマスで終わる。また聖書の内容に基づいた主人公クリスチャンの誘惑と苦難を克服するジョン・バニヤンの『天路歴程』の真似をして巡礼ごっこをする。さらにマーチ一家の主人は牧師。結婚などしないと言っていたあの奔放なジョーも2作目では結婚します。姉妹たちの日常の描写やいたずらや冒険も楽しいけれど、最終的には当時の社会の規範に取り込まれてしまう。

 でも結婚という規範に回収されるのですが、物語と物語内物語(ジョーが書く『若草物語』)とをリンクする娯楽的なメタ・フィクション的構成。出版社の編集長とジョーの間で、主人公を結婚させるかどうかの議論がユーモラスに描かれます。読者が好む結末≒売れ行き、芸術と経済の葛藤。そして妥協的結論。そのプロセスを戯画的に表現する事で、ただ単純に既存の常識や経営的な観点からの文化事業ではないと言うスタンスを観客に示す。

 そして見ていて面白いのは、日常の生活の描写。食事の用意や遊び、女子なので服装の話。これがリアルに、そして映像的に描写されています。それとキリスト教の教義って言うのはクリスマスなどのお祭りで楽しく学べるようになってうまいなと思いました。冒頭から繰り返される『天路歴程』がごっこ(遊び)で、誘惑や葛藤を克服して正しい大人(人間)になっていくように訓練される。

 ま、それが理想的な形で実現する4姉妹と母親だからですけれど、。あのジョーも結婚するけれど、家庭に収まらない。小言が多かった父のおばさん(メリル・ストリープがうまく演じていました)が亡くなってメグに残した邸宅を学校にすると言う形で、将来の女性の可能性を育むヴィジョンと可能性を表現していました。