レデイ・ソウルの訃報

 マリーナ・ショウが19日に81才でなくなりました。

 Who Is This Bitch, Anyway?(1975年)が誰もが認める代表作。僕的には「こうや」という店でこうや(さん)にこのタイトルはどう訳すの?と聞かれたのを覚えています。

 Actに勤めていたこうやさんはジャズはもちろん、ソウルにも詳しかった。その流れで英語のタイトルについて聞いてきたのでした。訳しずらいのは、わざと普段タイトルには使わないようなスラングを使う事で、黒人女性の意識を打ち出したのかなと。その辺、以下具体的に説明します。

 冒頭、男と女のバーでの会話からはじまる。ごく普通に女性を誘う場面。男は9回目の結婚記念日だけど別居中だと情けない告白をします。女性に仕事を”social service”と聞いて、「福祉」を「社交場のサービス」とわざと勘違いして、お酒を誘う。女性はあっさりと男性の誘いを振って外に出て行く。そのちょっと前からバックに音楽が絡み、ソウル/ファンク的なグルーヴィーなチャック・レイニーのベースとラリー・カールトンのギター。これがStreet Walking Woman。街をさっそうと歩く女性を歌う。

 マリーナの格好いい姉御のような風貌と声が、白人と(黒人)男性の両方から差別されている状況を跳ね返す。「この××女、いったい何様のつもり?」は取り残された男性の情けない怒りを表現していると思います。つまり馬鹿な男が正論を言う女性に対して貶める言葉を使う。それをタイトルにする事で人種差別と性差別をひとまとめにして批判する。

 ベースのチャック・レイニーは、意外だけれどガトー・バルビエリに2作で共演。スティーリー・ダンとは9作のスタジオ録音のうち5作でバックを務めています。スティーリー・ダンは有能なジャズマンをサイドマンとして起用しているので有名でもあります。スティーリー・ダンというジャンル横断的なグループのジャズ・テイストに貢献しています。ラリー・カールトンも参加。

 戻って1974年の『マリーナ・ショウ・ライヴ・アット・モントルー』は、マーヴィン・ゲイSave the Children, Woman of the Ghettoなどは、社会的な意識の高い黒人女性シンガーの選曲と思いました。曲の前の語りも格好よく楽しいけれど、歌唱と演奏の完成度は1972年の『マリーナ』での同曲が勝る。スタジオ録音とライブの違いが分かって面白い。

 1978年の『アクティング アップ』 では『ミスター・グッドバーを探して』の主題曲を担当して、印象に残ります。映画も若い女性の勤勉な教師振りと夜の乱れた時間のギャップ、そして悲惨な最後を主題歌が歌い上げる。主人公(ダイアン・キートン)は性と暴力の被害者か。黒人女性はさらに人種差別という社会的抑圧とも戦う。

 ジャズ歌手ではない。ジャンル的にはソウルか。ジャズも歌える、ジャズ・テイストのあるソウル・シンガーと言えるかな。同い年のアレサ・フランクリンのようなゴスペルに根っこのあるソウル・シンガーとは違うような気がします。それとディスコ的なアルバムでのラップ的な語りもうまい。

 語りから歌へ、そして歌から語りへの自然な流れは、その落ち着いた自信にあふれた声も含めて、歌の本道のようにも思えます。つまり歌は祭祀における巫女の神への祈り(言葉+リズム)が極まって歌(メロディー)へと変わっていくところから生まれた。そして語りと歌が交互に現れる事もあり、その往復が自在にできるのはすごいと思います。

 たまたまランチ後、図書・情報館でニーナ・シモンについての雑誌のコメントを読んだけれど、こちらの方がジャズ/ソウルの歌い手としては深いかも知れません。でもフットワークが軽く、格好良かった姉御シンガー、マリーナ・シヨウに合掌。