1960年代から70年代にかけてはソウル・ミュージックが公民権運動と呼応するように社会的なメッセージを表明していた。しかし、ソウル・ミュージックのクラシックではあるカーティス・メイフィールドの「ピープル・ゲット・レディ」においてもマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」でも黒人のおかれている過酷な状況を歌っていたが、その一般的な聞き手のことを優先したモータウン的な美しいメロディーがメッセージを裏切ってしまう。
しかし1983年グランド・マスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴの「メッセージ」ではそのような逡巡はみられない。60年代の公民権運動をへても、いまだ改善されないゲットーの現実を怒りをこめつつ冷静に描きだしている。イギリスの黒人批評家ディック・へブディージは「メッセージ」について「ビートが閉じ込められている事のメタファーになっている。曲の続いている間、サウス・ブロンクスの低所得者用アパートにいるような気になると語っている。この「閉じ込められている」という感覚が、黒人が歴史的におかれている状況をあらわすキーワードになる。
ヒップホップは「メッセージ」以降、ゲットーの差別的な環境と白人の支配する体制を鋭く抗議する道具になる。その意味において、1954年のブラウン判決から1964年の投票権法成立に至る公民権運動が拡大されて続いていると言うとらえ方も可能になる。エリックB&ラキムの呪文のように抽象的なライム、パブリック・エネミーの重低音を背景にしたどなるようなラップ、さらにはNWAのような西海岸のギャングスタ・ラップも登場して、ヒップホップ・シーンは多彩になる。
そして80年代後半、ランDMCや LLクールJなど80年代前半に活躍したアーティストをオールド・スクールとする次世代のグループが登場する。かれらは自分たちをニュー・スクールと称し、アフリカ回帰を主張するネイティブ・タング一派がその代表格である。拡大した公民権運動の新しい主張と言える。グループとしてはジャングル・ブラザーズ(アーバン・ジャングルであるニューヨークに住むアフロ・アメリカンをうたう)、デ・ラ・ソウル(新しいポップ・ミュージックとしてのヒップホップをつくる)、クイーン・ラティファ(女性ラッパー)、そしてKRS-ONEがいる。
このKRS-ONEの経歴や発言はヒップホップの多面的なありようを体現している。黒人の歴史の見直しや聖書の読みかえをふくんだKRS-ONEの一連のアルバムを聞くと、これは音楽によるブラック・ナショナリズムでありブラック・ニュー・ヒストリシズムとも理解できる。
ヒップホップはストリート・カルチャーから発したブラック・ミュージックの新しい展開であり、都市の黒人のおかれている状況をつたえ、抗議する有効な手段である。繁栄から取り残されゲットーに閉じ込められた状況は、奴隷船にのせられ、新大陸に拉致された頃とどれほどちがうのだろうか。また暴力を否定し、黒人の教育の必要性とコミュニティの再建を訴えるラップをきくと、つねにコミュニティとともにあった黒人文化の歴史と公共圏を想起させられる。ヒップホップをきくと、そこから様々なアメリカ社会の現況とゲットーの現実がみえてくる。
そんな風に考え見ると、公民権運動とは少し離れていくかな。と言うかキング牧師に代表される運動に飽き足らなくて、マルコムXのブラック・モスレムとか、ブラック・パンサーが出現する訳だし。そして1980年代のヒップホップのスターの2パックの母親はブラック・パンサーのメンバーだった。
僕は2000年のアメリカ文学会の全国大会のシンポジウム(北海道支部)でヒップホップについて発表した。実は1980~90年代のニューヨークの文化を論じる時に黒人音楽を任されて、ジャズやR&Bではなくヒップホップが時代を象徴していると考えて聞き始めた。それがはまって、その後も聞き続けています。特に2パックは好きです。たぶんライム(歌詞)と声/フロー(流れ、節回し)やゲストも多彩であきない。
また公民権運動から離れたけれど。今度はヒップホップについて話したくなった。