脚本家、赤狩り、ジャズ・レーベル

 友だちのブログを見ていると、コンテンポラリーというジャズ・レーベルの話が出ていた。
 オーナーがケーニッヒというユダヤ系の元脚本家で赤狩りでブラック・リストに名前が載って、ジャズ・レーベルのオーナーに転身したらしい。
 コンテンポラリーはクール・ジャズやゥェスト・コースト・ジャズで有名で、アート・ペッパー、チェット・ベーカーなどを録音。ジャズ・ファンなら知っているけれど、レスター・ケーニッヒという名前は初めて。ブルー・ノートのアルフレッド・ライオンと同様、ユダヤ系のジャズ関係者は多いいんですね。
 例によって調べてみると、関心のある人物が二人関わっていた。
 一人はジョン・ハモンド。ケーニッヒより10才年上で、音楽の師匠のような人物。彼について関心がありつつ、よく知らなかったので、別項で書こうと思います。アメリカ音楽のジャンル横断の音楽プロデューサでした。
 もう一人はケーニッヒのダートマス大学の同級生のバッド・シュルバーグ。このバッド・シュルバーグについては「妄想のアメリカン・ドリーム」という、いま考えれば変なタイトルの論文を2009年に書きました。ユダヤ人のサミー少年が給仕から脚本家、そしてプロデューサーへの出世の道を裏切りを重ねて邁進します。
 レスター・ケーニッヒもハリウッドで脚本を書き、戦後赤狩りでブラック・リストにのってしまい、若い時のジョン・ハモンドの影響もあって、レコード・レーベルを作る事になったらしい。
 で、シュルバーグの方はパラマウントの撮影所の所長の息子に生まれ、撮影所で育つ?
 のちにスコット・フィッツジェラルドと一緒に学園ものの脚本を書き、ハリウッドで落ちぶれ作家(フィッツジェラルド?)をモデルに『夢やぶれて』を書きました。さらに『何がサミーを走らせるか』(1941)でハリウッド≒アメリカン・ドリームの虚妄を描いて評判になります。僕が書いたのは、そのような論点でした。
 でもシュルバーグが書いたので一番有名なのは『波止場』の脚本でしょうね。エリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演の、あの『波止場』(1951)です。実はシュルバーグも非米活動委員会で査問を受けて、カザンと同様に転向したのでした。
 でも非米活動委員会で"Name a name."「(知っている共産党員かシンパの)名前を言いなさい」と詰問されても言わなかった人たちもいます。「ハリウッド・テン」と言われた人たちは実刑判決を受けました。友だちのブログで言及されていたダルトン・トランボも有名。ブラック・リストにのせられていたので、偽名で書いたり、B級映画の脚本を書いたり。そのおかげで映画的に質のいいB級映画も出現しました。またこの赤狩りに協力した有名人にニクソンレーガン、ディズニーなどがいます。
 さてシュルバーグは晩年はボクシングなどのスポーツ・ライターとして活躍したので、訃報もそのような経歴でまとまえられていました。これは図書・情報館で書いています。日曜なのにけっこう混んでいます。
 写真はブロードウェイで上演された時のもの。サミーはスティーヴ・ローレンスが演じています。奥さんのイーディ・ゴーメとのデュエットで有名な歌手です。中学時代だったでしょうか、『アンディ・ウィリアムズ・ショー』でみた記憶があります。スティーヴィー・ワンダーがリトル・スティーヴィとして出演。ハーモニカで「アルフィー」を吹いていた(ような気がします)。『ペリー・コモ・ショー』もあって、いろんな歌手を聞く事ができました。