『アメリカン・フィクション』とメタ的視点

 アマゾンで見ました。黒人作家が主人公の話です。主演が『バスキア』(1996)でバスキアを演じたジェフリー・ライト。2006年の『カジノ・ロワイヤル』からフェリックス・ライターを演じています。僕の記憶で、白人が演じていたCIAの捜査官で、ジェームズ・ボンドに協力する役。でも上司のMも女性(ジュディ・デンチ)が演じるように、ジェンダーや人種を意識する配役になってきていた。でもそんなに原作(イアン・フレミング)とちがっていいのだろうかとも思います。

 それと最近は『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)に大きくはないけれど、重要な役で出ていました。

 さて何となく見たけれど、けっこう印象に残る映画『アメリカン・フィクション』(2023)について。ネットっ上でもいろんな切り口の紹介がありますが。

 『アメリカン・フィクション』というタイトルは普通に「アメリカの小説」という意味になります。映画では小説=フィクションが紋切り型のアメリカ、アメリカにおける紋切り型の黒人しか描かれていない事に、フィクションの作り手である主人公の作家(黒人男性)が怒っている。紋切り型?でヒットした黒人女性作家にも。これが基本的で表層的な主題かな。「アメリカの黒人」についてのイメージ。

 さらに「アメリカという虚構」という意味を連想させる。それはたぶんそれは正しくて、そのように思わせるようにタイトルを付けていると思います。アメリカと言う社会がきちんと認識されていない。その不確かな理解が「アメリカという虚構」。または僕たちが「イメージするアメリカそのものが虚構」であるとも。

 さて、紋切り型についてもう少しちゃんと考えると、フィクションにもつながります。先述のようにイメージと言い換えてもいい。若い黒人男性(犯罪容疑者)が警察官に銃で撃たれるとか、黒人女性のシングル・マザーの苦境とか、事実ではあるけど。それを描けば売れると言う出版業界に迎合した小説家に違和感を覚える主人公。僕も軽く違和感を覚えますが、ちゃんとした?小説を書いている黒人作家なら、黒人として作家としての自分のアイデンティティを揺すぶられるような焦燥感も。

 主人公はボストンの裕福な家の出で、ロサンゼルスで大学教師兼作家をしています。英語のwikiではupper classと表現されていますが、「上流階級」とまでいなかいのでは。中流の上くらい。家族は医者が多い。亡父や姉や兄が医者。別荘としてビーチ・ハウスも持っている。でも離婚したり、ゲイだったり。こう言う表現自体が差別か。またローンが残っていたり。認知症の母親を施設に入れる資金を兄弟で工面したり。お金持ちではないようです。

 一方、この映画は「アメリカ」についてというメタ的な視点から、さらに主人公が書く小説についても、描いています。さらに主人公が売れるために書いた小説の映画化について複数のエンディングが検討される点では、メタ映画的な映画でもある。「~について」が多いメタ的な作品ともいえます。

 つまり「小説についての小説」がメタ・フィクションと言われるように、『アメリカン・フィクション』という映画の中で、映画のエンディングのような、映画について語られるので、メタ映画的と言っていいと思います。

  そして遡って言えば、小説家が主人公の小説は最初から「小説(家)についての小説」≒メタ・フィクションである訳で。ある意味で現代の様々な事象に対する言説は「~について」なので、「~」が言葉や小説なら、「~について」で語る道具が言語なのでメタになってしまう。語る対象と、語る道具が同じものになる、ある種のチャイニーズ・ボックス。よくロシアのお土産マトリューシカが分かりやすいので。

 この話は重要ですが、説明が難しい(本人もよく分かっていない?)ので、別項で。

 主人公はセロニアス・エリソンという名前なので、有名なジャズ・ピアニストであるセロニアス・モンクからモンクと呼ばれる。家政婦からもMr.Monkと。でも母親からmonekyって呼ばれている。モンク(修道僧)のように堅苦しいと同時にモンク(ジャズ・ピアニスト)のように「いたずらっ子」。母親だけが息子の本音を知っていて、愛称としてmonkeyって呼ぶのかな。映画の終わりころに「愛されたがっているのに、愛されるような振る舞いをしない」と言われるモンク。

 因みにアメリカの小説の翻訳で困る事なんですけど、兄弟・姉妹について、brother, sisterだけでyoungerもolderもつけない。でも日本語では「兄」、「姉」、「弟」、「妹」という年齢の区別が必須になる。でも英米の文化では年齢による長幼の序なんて関係ない。長編小説ですと、どこかで年令に関する情報が出てきて分かるのですが、短編ですと勘?で決めてしまうような。ネットの説明でもリサは姉だけど、クリフは弟になっている。映画では兄。たぶん会話の中で、兄か弟か区別できる表現が出ているんでしょうね。または勘?だろうか。

 写真は左から兄(いちおう)のクリフ、姉のリサ(ダイアナ・ロスの娘です)、そしてセロニアス(主人公)、ライバルの女性作家、恋人。