フィラデルフィア美術館と街について

 1996年9月から97年3月にかけてフィラデルフィアに8か月間滞在しました。ペンシルヴァニア大学の英文科の客員研究員として。その時もNYやワシントンに出かけました。どちらもアムトラックアメリカのJR)で1時間弱。

 まずフィラデルフィア美術館。この時は映画『ロッキー』(1976年)から20年、そして1976年が1776年独立から建国200年でわきたっていた(らしい)。そのヒット映画の20年(あまり意味はないようにも思いますが)が、美術館や市内各地がロッキーがチャンピョン目指してトレーニングをしていた場所で観光的にも人気があった。

 フィラデルフィア美術館の入り口に向かう場所も「ロッキー・ステップ」と名付けられています。前にも書きましたが日曜は無料、ブランチ(エッグ・ベネディクトが美味しい)を兼ねて行きました。フィラデルフィアという町はbrotherly love(同胞愛)という意味のラテン語から作った地名です。アメリア最初の首都、独立宣言を発布した歴史と伝統のある町としてプライドを持っています。同時に黒人の多い、差別の残っている都市でもあります。これもエディ・マーフィーの『大逆転』を見るとよく分かります。それと『フィラデルフィア』も白人エリートの弁護士が、下に見ていた黒人弁護士の助けを借りなければならない状況が人種差別を基にしていると言えます。ハリソン・フォードの『目撃者 刑事ジョン・ブック』は近くのランカスターに住むアーミッシュキリスト教の一派)への差別が重要なテーマになっています。

 大学の図書館で勉強しつつ、英文科の授業にもいくつか出ました。黒人男性助教授による白人女性作家イーディス・ウォートンの作品解読。ウォートンは『エイジ・オブ・イノセンス』が映画化もされて有名です。ジョイス研究のアイルランド系女性研究者の授業もとった記憶が。ユダヤ系女性学部長の自宅での英文科のパーティにも参加しました。スペインからの留学生がスザンヌ・ヴェガといって有名なシンガー・ソング・ライターと同姓同名でした。

 大学には大小6つ程図書館がありましたが、美術関係のフィッシャー図書館もアルコーブとかレイアウトがお洒落で使っていました。『フィラデルフィア』の撮影で使われたのはここだと知っていたので、司書の人に聞いたらそうだと自慢?そうに答えてくれました。トム・ハンクスエイズで法律事務所を首になったあと、不当解雇で訴訟を起こす準備を一人でしている場面でした。

 ちょっと美術館から離れてしまいましたが、初めて8ケ月も住んだ街なのでアメリカ文化の復習もかねて思い入れが強くなってしまいました。