レバニラ炒めの変遷と

チャイナ・パークの夜の部担当のK田さんに「水曜はレバニラが出る可能性が高いよ」と教えられたので、行ってみました。すると日替わり定食はニラレバでした。僕がレバニラというと、お店の人(おかみ)はニラレバと訂正した事もありました。

 今回は副菜が冷奴でした。実はレバニラ炒めはおかずとしての力があり、副菜は冷奴(中華風)がさっぱりと受け止めるので、バランス的にはOK。でも、副菜がかに玉だった時は、とても得をした?気持ちでした。下の写真が2016年リッチな組み合わせ。

 その後、かに玉がハム玉に格落ち?して。でも値段据え置きで、諸般の値上がりを考慮するとやむを得ないと自分を納得させました。

 

 2023年版の冷奴は体力的にも年令から言ってもOKですが、レバーが少し小さくなったかな・・・

 元の職場の教職員テニス同好会が解散するかも知れないと言う事をメールで知りました。それも仕方がないか。僕が就職した1980年は28才の時。43年前ですが、無理やり同好会に参加させられました。夏のニセコ合宿、秋の小樽商大戦、3月の岩見沢合宿と活発に活動していた1980~2000年前後。小樽商大戦は9ペアで対戦した事もあるような。その後7ペア~5ペアと減少して行きました。

 テニス・ブームの1970~80年代にあったので、1980~90年代にはハワイで合宿をしようとか、30周年の記念誌を作ろうとかいう話もありましたが昔の栄華?か。

 テニスのブームが去った事もありますが、何度も書いているように文部省/文科省による大学教育への口出しが大きい。特に小樽商大のような旧二期校はそのターゲットになったようなきがします。キャンパスのテニス・コートで平日の日中にテニスをする事が憚れるようになり、研究業績の数(質よりも?)が求められ、教員の仕事が増えました。

 いろんな事が変わって行ったり終わっていくのは、時代のせいか、自分の年のせいか。やむをえないと思いつつ、一抹のさびしさも。