通夜、ススキノの40年

 Y郎君の唐突な死の波紋が、自分の中でじょじょに・・・

  小学校のころから、背は高かったけど大人しい、僕よりももっと知っている友だちによると「泣き虫Y郎」という面もあったようです。30代のころからはじまった中学の同期会でも中心的な、世話役的な事をやっていました。

  実は工務店というか建築会社の2代目で会長に退いたY郎君でしたが、ピアノや家庭サービスとともに家づくりの問題解決のお手伝いもしていました。その関係で去年から少しお世話になっていました。

 でも家の問題の解決では残念ながら、どうしても業者寄りになってしまうんですね。それで最後の電話もそんな感じで、屋根の補修については仲介を断られたと言うか、そんな電話が最後だったので、こちらとしても気になって・・・

 お通夜は仕事柄か多数の参列者が。でも元々の会場がせま過ぎたのか、両横に立っている。しかも祭壇での献花の後で席に戻ってといわれて、立っている人はまた立ったままでしょう。それはないだろうと、段取りと言うか仕切りと言うか進行の下手さに(少し怒って?)途中退席をしてしまいました。

 7時前、まだ早い。歩いて時々行く寿司屋へ。そこの店主は近くの蕎麦屋でも顔を合わせる事があるので、馴染の店員の話題に。夜は僕がいくカラオケの店と同じフロアの店でバイトをしていると。

 ちょうど、帰りに顔を出そうと思っていたので、そのお店に行ってみました。

 件(くだん)の女性はいました。ペコちゃんみたいな雰囲気の明るい女性です。そこでの話題が、蕎麦やの元の店長さん。料理人は小学校の同級生だった時もあるし。常連の先生(北海学園)の話も。

 さらに70代後半ママとの話題が北海学園の昔の先生(教養部時代の同僚というか先輩)。その先生の知り合いの女性が僕の知り合いでもあって微妙な・・・さらに北大英文科の先輩(東北のH大教授)がたまに札幌に来た時の話。別な店のママで共通の知り合いでもあった人もいるし。ススキノでも40年くらいのタイム・スパンの話があっちに行ったり、こっちに戻ったり。楽しくて、4時間以上も話していたかな。

 画像は若い時に好きだったパウル・クレーの「ニーゼン山」(1914)。札幌西高の近くにある三角山とよく似ている。クレーって、時間とか永遠とか天使とか、あまり突き詰めない(いい意味で)形で宗教的なテーマやアプローチがいいんです。

 もう1枚は寿司屋でのつまみ、たちの表面をあぶった焼きたち。香ばしくて美味しかったです。ビールの後は、ぬる燗2合。