My Back Pages

 このディランの曲で最初に思い出すのはキース・ジャレットSomewhere Before(1969)の1曲目に演奏されるカバーだ。1970年代の前半にジャズ喫茶や行きつけの飲み屋(エルフィンランド)でよくかかっていた。ベースのチャーリー・ヘイデンのイントロに導かれるように始まるキースのソロ。メロディーからアドリブへの流れはフォーキッシュ(フォーク・ソング的)でもあり、ゴスペルのようでもある。

 その後にオリジナルのディランのMy Back Pagesを聞く。Another Side of Bob Dylan(1964)に入っているオリジナルは、その声も歌い方も好きになれなかった。でも今では違って聞こえるのはなぜだろうか。

 10年くらい前に授業でも使おうかなと思い、訳と解釈を試みました。でも現代詩のように難解でした。とは言え、キーになる言葉の使い方、表現方法/レトリックを理解すれば、大丈夫だとも分かりました。

 淡々としたギターの弾き語りは、ユダヤ人のラップでもあるかなと。ユダヤ人というのは、学術・芸術だけではなく、けっこう芸能的な関心と才能もあるんですね。ラップも口承によるユダヤの物語の継承もあるようですし。ユダヤ教シナゴーグに勉強のために住み込んだアメリカ研究の仲間は、教義の解釈についての議論が語るように歌うように続けられる風景にについて語っていた記憶があります。

 このディランのラップ的弾き語りは日本のフォークにも影響を与えた。吉田拓郎泉谷しげる遠藤賢司など。この語る≒ラップという歌い方は、歌詞のメッセージ性とも関係するような気がします。メロディよりも内容を訴えたいと言うか。でも元々歌って、語り~歌へとなっていったので、歌~語りって先祖返りというか、メロディよりもメッセージが先だったんです。

 My Back Pagesの内容は23才のディランが21才の自分を振りかえって”Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now”(ああ、だが私はとても年老いていた。そして今、私はあの頃よりずっと若い)」と歌う時、21才の自分は”old”、つまり「頭が固かった」、そして今はずっと”young”つまり「柔軟な」考えなんだと過去を相対化しているように見えます。

 でも23の若造が2年前の自分を批判しても何だかなぁとも思いますね。それを知らないまま、今(60代から70代)になって、若い時の事を回顧しているように、自分に合わせて解釈すればいい。

 最後にback pageは「裏の頁、最後の方の頁」で転じて新聞などの「重要度の低い記事」を指すので、大上段に表明するマニフェスト(宣言)ではなく、そっとつぶやく独り言≒本音のようなものだと。その割には理屈っぽく文学的でもあるので、のちにノーベル文学賞を受賞する萌芽はあるのかなとも。

 上の写真はSomewhere Before。「むかし、どこかで」というタイトルとジャケット写真によってイメージされるように懐かしい。曲の解釈もそうでした。つまり”Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now”というメッセージよりも、ノスタルジックなメロディを生かした演奏と呼応すようなセピア色のジャケット。