『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』反復する物語

 映画を見た後、原作に挑戦。けっこう長くて(翻訳で500頁ちかい)、けっこう難しい。でもユーモラスな部分が多いので、悲惨な話、つらい話も読めます。いろんな実験的な試みも。 

 9.11に対置する悲劇として祖父のドレスデンの爆撃経験も重要な役割をしめています。それと父と息子の話の反復。ちょうど1年前に取り組んでいたポール・オースターの小説とも共通しています。どちらもユダヤ系作家。でもポストモダン小説って、人種や戦争、家族の話を扱わない面もあるけれど、この作品は正面から扱っています。いろんなポストモダン小説風な工夫を入れながら。21世紀の小説って、ポスト・ポストモダン小説かも知れません。ハードバップビバップとクール・ジャズの両方の特徴を持っているように、ポストモダン小説の方法を取りつつ、それ以前のテーマも扱うという風に。

 さて前々項でお約束した(誰も待っていないと思いますけれど)タイトルExtremely Loud & Incredibly Closeについて。ネットでは特に映画に関してですが、タイトルの意味について考察が披露されています。どれもそれなりの解釈をあげていますが、でも納得はしない。一つには母親の存在が「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」。これって普通にありえる解釈です。母親一般の存在が「うるさくて、近い」から。でそれに対抗する解釈も披瀝されていましたが、長くて論旨が分からないブログもありました。

 原作のテクストを探すとありました。これが第1と考えていいでしょう。次のステップとして、テクストの説明が絶対かどうかを考えればいい。で父が残した鍵に合う錠を探す旅は、鍵が入っていた封筒にかかれた「ブラック」という言葉を名字を考えてNY中の400以上のブラックさんを探します。そのごく最初に訪れたアビー・ブラックさん。そこは空振りだったのですが、かなり後になってウィリアム・ブラックさんを訪れます。そのブラックさんはアビーの元夫で、アビーさんのところ訪れたオスカーは離婚係争中だったウィリアムのどなり声を「ものすごくうるさかったよ」と言っています。

 そして8か月前(アビーを訪ねた時)もオスカーとウィリアムは同じ場所にいて、いまはウィリアムのオフィスでいっしょにいるのを「ぼくらはありえないほど近かったんだ」とオスカーは言います。でもそれは物理的に近いというだけで、実はもっと近い点がその後に語られます。ウィリアムは疎遠だった父が亡くなって遺品を処分します。そのうちの一つ(青い花瓶)をパパ(トーマス・シェル)はママへのプレゼントに買ったんだね。実はウィリアムのお父さんはその中に貸金庫の鍵をいれておいた。つまり亡き父との関係を探るオスカーとウィリアムの共通性=近さ。

 パパとオスカーの父と息子の物語は、祖父と父(トマス)の物語、そしてウィリアムの父とウィリアムの物語として反復されます。パパとオスカーのような理想的な例は特別で、他の二つの方が一般的か。それと9.11は第2次大戦末期のドレスデン爆撃の繰り返しとしての悲劇/愚行でもあると考えられる。カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』(1969)は、22才のアメリカ軍兵士だった作家が捕虜の時に実際にドレスデンで味方の攻撃を受けた事件を基にしています。

 トマスの父はこの悲劇で恋人失い、戦後NYで恋人の妹と出会い結婚をしますが、妻と息子を捨てて家を出ます。それがオスカーのお祖母ちゃんと間借り人(夫)とのねじれた関係として表現されます。最後には少し許されます。いずれにしても悲劇/愚行の反復、父と息子の物語の反復が語られる。タイトルについて映画ではオスカーが鍵の探索をする調査ブックに『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』とタイトルをつけていて、それを母親(サンドラ・ブロック好演)が読むと言う場面があります。

 ただ映画の限界はなんでもある意味でのハッピー・エンディングにしてしまう点。パパがブランコ(オスカーはあまり関心を持っていなかった)の板の裏に隠したメッセージをオスカーは見つけます。鍵は不発だったけれど、パパからのメッセージを受け取る。小説では調査ブック(スクラップ・ブックでもある)の落ちていく人の写真を逆に並べると浮かんでいく、もとに戻っていくように見える。そのオスカーの感覚を、本では10枚くらいの写真(20頁)になっていて、ぱらぱらめくるとフリック・ブック風に再現できます。

 この「落ちる男」はデリーロの小説『堕ちてゆく男』(2007)に代表されるように、9.11の悲劇の表象です。9.11の時のNYの新聞やテレビでも熱く燃え盛る建物から脱出しようと窓から逃げる/落ちていく人の映像や写真を見ました。日本では考えられないようにも思います。それは間違いなく死んでいく人の画像だからです。

 しかし物語の最後で、オスカーはパパが落ちる状態から逆に浮かんで窓に戻り、建物から地下鉄に行き、家に戻りベッドに入る。そして9.11前夜「僕たちは安全だ」とオスカーはつぶやく。しかしそれでいいのだろうか。起きた事が起きなかったように時間を戻して、それですむのだろうか。

 確かにそれではすまないけれど、オスカーの心の落ち着き方としては、これでもいいのか。映画のように、喪の作業を終えて、先に進む方が紋切り型の映画的なハッピー・エンドがいいか。起きた事を起きなかったように思いこみたい気持ちもありうるけれど、小説の終わり方としてこれでいいのか、悩み?ます。