『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』喪の作業と成長

  2011年のこの映画は、2001年9.11が大きなテーマで、ジョナサン・サフラン・フォアという作家の作品が原作です。フォアというユダヤ系の作家の25才の時のデビュー作『エブリシング・イズ・イルミネテッド』(2002年)はベストセラーになりました。翻訳だけでなく、英語のペーパー版も本棚にありました。何か特別な関心があったのか。

 そして第2作の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』。読もうとしていますが、先に映画化をチェックしていると、アマゾンで配信していました。監督が『リトル・ダンサー』や『めぐりあう時間たち』のスティーヴン・ダルトリ―なので信頼できそうと見始めました。

 主人公の少年オスカーを演じる子役がいいです。子供のような、美少年のような、美少女のような、エキセントリックな青年のような、たくさんの表情を見せてくれます。お父さん(トム・ハンクス)との濃密な交流が、9.11で亡くなった後の喪失の重さを感じさせ、トムの演技も過剰になりそうないつもパターンですが悪くない。

 こんなにも息子と付き合う父親って例外的な存在ですが、オスカーがアスペルガー症候群である事も理由の一つ。その症状がコミュニケーションがうまくできない点と、一つの事にこだわる≒詳しくなる点とが、親子で楽しんでいる探索と、父の死後の一人での探索に関わってきます。特に父親と調査の資料を作っている家での作業と、父の死後、一人で外に出て人と出会う作業と。これも治療法でもあり、人が人と出会うコミュニケーションの一つの型でもあり。さらにタイトルにあげたように、オスカーの喪の作業と成長の物語になっています。

 亡くなったお父さんの残したと思われる鍵と封筒にかかれたブラック(苗字と思われる)に該当する人たち(200人以上)を探す旅が物語メインになります。その探索のお手伝いにお祖母ちゃんの間借り人が参加。80才のマックス・フォン・シドーが言葉を話せない老人を好演。話せないもどかしさや、少年への好意とアドバイスなど、もちろんうまい。この老人を少年はお爺ちゃんではと想像します。肩をすくめる仕草とかパパに似ている。でもなぜお祖母ちゃんの間借り人になっているのか。お祖母ちゃんには夫を許せない事情があって、でも近くに住むのを許している、そのような関係にも見えます。

 探索の中で無駄のように見えた事が後でそうでないと分かったり、コミュニケーションがうまくできない息子を心配して母親が探索先に出向いて事情を説明するなど、とても仲の良かった父と息子の関係を母親がある意味で引き継いでいく様子もとても共感が持てました。喪失の共有(妻として、子として)と母と息子の関係の見直し。亡き父の残したメッセージは、セントラル・パークのブランコにありました。少し甘いかも知れませんが好感を持ってみる事ができました。

 物語的には、「謎を探す」という原型をなぞりつつ、父と子のコミュニケーション、母と子のコミュニケーションにつながる、他者との関係。成長物語としての教養小説的映画。同時に関わる大人たちも変わっていく。障害をもつ少年の成長が人間一般の成長と重なり合う。と同時にオスカーをある種の聖なる存在として、まわりを照らすようにも見えます。優れた作品がもつ重層的な読み=解釈を誘うような。

 最後に『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という変わったタイトルについては別項で。