架空ミニ講義:アメリカ絵画その1

 雨の日、テニスはなし。読書も少し停滞気味。マティスデュフィに関心を持って、その画業が多彩でアメリカのポップ・アートに通じる要素を感じた。そのように論じる美術評論家もいました。

 それで、何となくアメリカ絵画について講義的に自分の中で復習してみました。ヨーロッパの絵画についての歴史書や評論は多いのですが、アメリカ絵画については少ないのです。

 アメリカ文化論の授業を持っている時に15回の中で1回はアメリカ絵画について話していました。当然のようにアメリカの歴史と社会に深く根差した文化の1ジャンルです。ブログですので、3回くらいに分けてやろうかなと。

 文学もそうですが、アメリカ的なるもの確立が文化的な独立につながります。国としての独立(1776年)から半世紀くらいかかるかな。絵画も最初はヨーロッパの影響を受け、次第にそこから脱してアメリカ独自の特徴を打ち出すようになります。その辺りも面白いと言えば面白い(と思います)。

 アメリカの絵画的な独立は19世紀半ばの「ハドソン・リバー派」と言われる、アメリカ独自の景観をある種宗教的な畏敬の念を抱いて描いた画家たちに始まります。ハドソン・リバーの渓谷、キャッツキルの山々、アディロン・ダックの山地などが描かれます。それも「ルミニズム」という手法で光に包まれている自然が神の顕現のようにも見えるように描かれます。どうも風景画としては不自然で、宗教的な絵のようにみえます。

 でもヨーロッパにはない自然を目の前にしたピューリタンが。そこに神の意志や現れを感じても不思議ではない。と言うか、そのように感じる/感じやすいメンタリティをもともと持っているから。厳しく言えば先入観。自分の意識が先に合って、目の前の事象を当てはめる。現実を見ないで、自分の意識から目の前の現象を解釈する。そんな風にも考えられます。

 そしてそれは「文学的独立」とされたエマーソンの超越思想に影響を受けたアメリカ人による「アメリカの風景の発見」と考える事もできます。現代の自分の感覚とは異なるものなんですね。そしてトマス・コールやエドウィンフレデリック・チャーチの描いたナイアガラの滝などはアメリカ的風景≒聖地として観光化をも推進するようになる。日本のお伊勢参りも同様かなと思いました。

 でも創始者のトマス・コールがイギリス生まれと言うのもアメリカ的か。その逆にアメリカからイタリアに絵画の勉強に行って、イギリスのロイヤル・アカデミーの会長になったベンジャミン・ウェストの例もあります。トマス・コールの作品もNYのセントラル・パークの西側にある自然史博物館でも連作を見る事ができました。

 写真はハドソン・リバー派第2世代のマーティン・ジョンソン・ヒードの「雷雨の接近」(1859)。第1世代の宗教的な意識と描写が少なくなっていった画家の一人です。現代の感覚で言えば、バランスのとれた風景画が好みです。メトロポリタンかMOMAですね。