ボヘミアンの描き方

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  ボヘミアンについては前にも書いたのですが、その描き方をNHKの朝ドラの再放送『純情きらり』を見て考えました。

ボヘミアンは東ヨーロッパのチェコボヘミアに住むチェコ人やスラブ人のことです。でそれがなぜ今のような芸術家(志望も含めて)や自由な人々を意味するようになったかと言うと、フランスのジプシーがボヘミアからやってきた事から「ボヘミアン」=流浪の人、自由な生き方をしている人たちとなったようです。

  ジプシーの出自は名前からはEgypt→Gypsy、人種的にはインドと言われているので西ヨーロッパからすると東西ヨーロッパ、アラブとアフリカの境界、そしてアジアから、外部からの異郷からの色の浅黒い放浪の民という事になります。それは定住しない自由な民ですが、一部犯罪とも関わる法的制度の埒外の人たちともされるわけです。

 ニューヨークのビレッジに住む芸術家や芸術家志望の人々、さらには制度や伝統にこだわらない自由な生活をしているボヘミアンを描く『レント』もダウンタウンのニューランダー劇場で見ました。この『レント』は「レント」(家賃)から来ていて、『純情きらり』も家賃絡みで話が進みます。つまり『純情きらり』の主人公の桜子が住むようになったマロニエ荘も画家・音楽家・ダンサーが家賃の値上がりを防ぐために音楽学校受験の主人公たちを無理やり住人にさせたのでした。

  しかしこのマロニエ荘のボヘミアンの貧しいけど自由で楽しそうな雰囲気がうまく描けない。たぶん脚本家も演出家もわかっていない、もちろん20代の俳優も。昭和10年代の設定なので誰も直接は知らないだろうけれど、資料や情報と最後は想像力で、この時代の芸術家志望の若者たちをもう少し説得力のある脚本+演出+演技で見せてほしかった。映画の世界でも日本の俳優はやくざと兵隊はできるけれど、たとえば上流階級(そんなものがあるとして)は演じられないと言われてきた(ような気がします)。

  確かにアーティストも演じるのは難しいです。僕たちはその結果(絵画、小説・詩、音楽)しか知らないので、それがどのようなプロセスが背後にあるか知り得ない。でも映画やテレビの世界には、作家や音楽家は身近にいるのでその人たちに聞くとか、観察するとかして、芸術家の生活を想像/創造できると思います。またときわ荘の例の様に漫画家(芸術家)志望の若者たちがどのように貧しい中、切磋琢磨をして時には喧嘩もしながら夢を追い続ける様子は想像できるように思えるのですが、それがなかなか表現できないんですね。

  好きではないけれど人気のある半沢・・・とか、けっこう面白く見た『それは経費で落ちません』のようにサラリーマンや町工場、銀行の世界なら比較的細かい人間関係まで描けるんですけど。

  写真は『レント』の映画では冒頭、舞台では2幕目の冒頭で歌われるSeasons of Love。ストーリーとは直接関係はないけれど、若者が様々な問題や病気など経験する中での1年のその季節や日々や瞬間が大切だと言う事を歌っていて、日本のCMでも使われています。カーテン・コールの様に登場人物が横に並んでフォトジェニックでもあるので。