ハイスミス、生誕100年 その2

 『見知らぬ乗客』(1951)で注目され、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』(1960)で一躍有名になったハイスミス。『太陽がいっぱい』は完全犯罪成功に喜ぶ主人公トム・リプレイに警察が近づく印象的なシーンで終わるが、原作では逮捕されず、連作の主人公として活躍?しました。そして1977年には第3作Ripley's Game(1974)が『アメリカの友人』としてヴィム・ヴェンダーズによって映画化されます。その時のトム・リプリーデニス・ホッパー。彼に犯罪に引き込まれるジョナサンに『ベルリン 天使の詩』(ヴェンダーズ監督)のブルーノ・ガンツ
 Ripley's Gameは2002年リリアナ・カヴァーニ監督で『リプリーズ・ゲーム』として再映画化されている。何とトムはジョン・マルコビッチyoutubeで予告編が見られるが面白いトムになりそう。トムはデニス・ホッパーのようなすぐに暴力に訴えそうな肉体派よりもマルコビッチのような頭脳派の方が原作に近い。
 第1作Talented Mr. Ripleyの方は1999年にマット・デイモンのトムで『リプリー』として再映画化。ハイスミスがまた少し注目されます。これはアラン・ドロンの卑しい美貌の方が勝ちか。金持ちの息子ディッキーに対する羨望と嫉妬をドロンはうまく演じていた。と言うよりもドロンが演技以前に持つ雰囲気(彼の出自や言動)がまさに役に当てはまっていた、頭脳明晰の部分は別として。ハイスミスによるトムの造形は普通の人間による悪意の表出だ。

 ま、普通とは言ってもモラルは皆無に等しいが。Talented Mr. Ripley(賢いリプレー氏)は、頼りになる身内や友人もいない、学歴もない、しかし数字に強く偽の収税吏を演じて小金を稼ぐけちな詐欺師だった。独立独歩の自立する犯罪者。あ、アメリカ文学の定番の「孤児」でもあるか。オースター文学のメイン・テーマでもありますし。

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 Talented Mr. Ripleyに映画では出て来ない原作の文学的なほのめかしがあります。ニューヨークで造船会社を経営するグリーンリーフ氏はイタリアに行ったきり戻ってこない息子リチャードを呼び戻す事をトムに依頼するのですが、氏がそこでヘンリー・ジェイムズの本を読んだ事があるかとトムに聞きます。ここで英米文学について、またはジェイムズについて知っている人ならぴんときます。
 あとからヨーロッパに向かう船の図書室でトムは『使者たち』を探しますがありません。この『使者たち』はヨーロッパに行って戻ってこない息子を呼び戻すために母親が自分のフィアンセを送り出す話なのです。で、ジェイムズの小説のパターンですが、歴史や伝統のないアメリカ人がヨーロッパの伝統や文化に憧れて、そこから戻ってこない。呼び戻しに出向いた「使者」もまたヨーロッパの文化の魅力にひかれてしまうんです。『使者たち』では最後にヨーロッパ文化の退廃も知って、一種文化的な相対性を理解して終わるという話です。でもハイスミス本人はヨーロッパを選んで永住しました。
 第2作Ripley Underground (1970、『贋作』)の映画化『リプリー 暴かれた贋作』(2005,)でのトムはバリー・ペッパー。これは『太陽がいっぱい』と『アメリカの友人』の間に出た作品で、トムは亡くなった画家の贋作を売る仲間の一員として、画家に扮して記者会見に臨む。トムの変身願望は『太陽がいっぱい』にも通じる。
 トムの特徴は、犯罪を犯しつつ、普通の世界で生きているという事になるだろうか。小説では事件が起きるが、トムはそれ以外の時は、絵を描いたり、ハープシコードをひいたり、旅行をする、ごく普通の金持ちだ。その金は犯罪によるものと、結婚した妻の実家からの援助だが。しかもこの作品では、大金持ちの娘であるトムの妻エロイーズが積極的にトムの犯罪に協力し、トムを嫌う自分の父親さえ亡き者にしようとするエンディングはファム・ファタールというか、犯罪カップルの誕生というか、(フィルム・)ノワール的にも面白い、頼もしいものでした。

 さて最後にCarolです。これについてはその3にして細かく分析?します。