家の修理と幼なじみ

 キッチンの天井に少しシミができたので、幼なじみの工務店に来てもらった。

 Y君は小学校、中学と一緒だったけれどクラスが同じになった事はなかった。でもクラスが同じだったよう親しみがあって、それがどうしてなのか分からなかった。今回初めて家に来てもらって、修理の件が片付いて、昔話になって分かった。

 なぜか(やっぱり分からない事がある)、僕に本を何度も借りた事があるんだって。その本のタイトルも覚えていました。僕の方は覚えていない。それと隣のNちゃんと同級で、珍しい熱帯魚を見に来ていたらしい。八百屋のO君と、医者の息子のT君と一緒だったらしい。そう言えばK造園のH君もNちゃんのところに来ていた記憶がある。

 Y君は2代目の工務店会長。もう社長は3代目に譲ったらしい。小学校の近くに家(工務店)があったのを覚えています。実は中学の同期で二人建築会社・工務店を経営している人が、家を建てる時にその事も頭にあったけれど、別の視点から工務店をさがしていました。つまり断熱のしっかりした家を建てる工務店とセンスのいい建築家。ハウス・メーカーでもなく、工務店の設計士でもなく。

 これはいいアイデアでしたけれど、実際は大変だった。断熱のしっかりした工務店は、センスのいいデザインを家にする事がむずかしい。しかも設計事務所の若い建築家は工務店の人を下に見ている。施主はそのはざまに立って苦労するんですね。

 そんなで設計事務所とも工務店ともなかなかうまく連絡を取りずらい状況で、そういうトラブルに対応する会に相談したら、工務店を紹介されました。それがY君の会社。でも家を建てる時にお願いしないで、小さなトラブルに対応してもらうのが心苦しい。

 でもとても気持ちよく対応してくれて、昔話もできてよかった。僕と同じ大学教員になったU君、Y君、T君についてもよく知っていました。南高にいって、よくブログをみるN君とも親しいらしい。もっともその事は知っていましたが。僕らの時はそんなに進学校でなかった八条中学校から10名くらい南高に行きました。僕はちょうど西区に引っ越したので西高。しばらくは小中学校を過ごした豊平が懐かしかった。

 その西野に移って50年以上たった。今のところに越して15年。いろんな事を考えつつ、支部大会の司会の準備が頭から離れない。サリンジャーについて。

 さらっと雪がつもったウッド・デッキ。