友だちがジェリコの事を話題にしていたので、ネットで調べると全国のジャズ喫茶を紹介しているサイトにたどり着いた。ジェリコの渋谷さんが僕よりも2才下である事が分かった。南3条の今の店の前はすすきののど真ん中にあってソープランドも近くて入りずらかった。近くの焼鳥ジャンボ(西高の先輩のお店)で飲んでいると、そのジェリコの帰りにきたのが北18条の鰻屋ながきさんだった。20年くらい前だろうか、カウンターの隣に座ったので、ジャズの話をしように思います。北⒙条の地下鉄から北大教養部に向かう道筋はよく知っていますが、途中にあるお店にも飲み仲間と行きました。数年前にやめてしまった。いいうなぎが手に入らなくなったかららしい。その辺りから、時々いく琴似の鰻屋さんも2千円台から2倍近くになった。そうでないところは大きさか質を落としているのでしょう。
同じサイトでジェリコの次にミツヤ・カフェが紹介されていた。ミツヤのY君とはこの間話したけれど、お店(元実家)を処分して、奥さんの実家に移るらしい。このミツヤの2階で20代の頃みんなでよく飲んだものでした。Y君の結婚式の夜もそこで朝まで飲んだ事も。奥さんの友だちと僕らの仲間が即席の?カップルになって、別な仲間とちょっとした三角関係になった事もありました。つまり40年間いろんな事があった場所がなくなってしまうのに若干さびしい思いが。Y君の隣のアパートに小学校3~4年生の時に同級だった野球のうまいM尾君が住んでいた事もかすかに覚えています。向かいは中学と高校も一緒だったI君の建設会社、まだあります。
つぎが琴似のロンド。これも老舗で昭和59年開業というのは初めて知りました。最初は20代の頃行ったのかな。1999年(平成11年)に東西線の地下鉄の終点が琴似から宮の沢までのびて、僕は発寒南で降りるようになりました。その頃から琴似駅の紀伊國屋がなくなったり、近くの久住書房も難しくなったようでした。ジャズ喫茶も日本独特の文化でしたが、町の本屋が郊外の大型書店に駆逐される流れのはじまりだったでしょうか。大通り4丁目付近と札幌駅をつなぐ周辺の丸善やなにわ書房なども次々と消えていきました。
ロンドの話に戻ると、大学院の時に開成高校に英語の非常勤に行っていましたが、その時の高校生がロンドのマスターの息子さん。高校生のK田君と北24条のアイラ―に行って一緒に煙草を吸っていました。後にジャズのムックや文庫の編集や執筆をするようになったK田君もどこかでその事を書いていたような。ロンドにもY君と行ったり、カナダから来た友人夫妻と志んぼで鰻を食べた後、ロンドで2次会をやりました。そのロンドのカウンターで一緒に飲んだ事もあるK田君の奥さんが後を継ぐのかな。
写真は日本ではあまり知られていない1928年ヴァージニア州生まれのサイ・トウンブリ―の「白鳥とレダ」。名前から何系か分かりずらいですが、白人男性です。抽象表現主義の第2世代を代表する作家です。即興的な線や数字やアルファベットを組み合わせた絵画、彫刻、素描、写真作品を多く残しています。1957年にイタリアに移住。2015年に品川にある原美術館で、翌16年には千葉の佐倉市のDIC川村記念美術館でも展覧会が開かれ、サザビーで87億円も値段が付いた作品もあるとか。