『三四郎』とstray sheep

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三四郎』(明治41年、1908年)は熊本から帝大で学ぶべく東京に出てきた主人公の教養小説として読まれてきたらしい。確かにそうなんだろうけれど、三四郎があまり成長しないなぁとか、美禰子に翻弄されている三四郎を若き主人公としてはどうなのと考える(らしい)文学部の女子学生もいるという事だし。

   僕は読み返してみて、また例の小森君と石原君の論文や対談を読んでみると、今まで異なる感想を持つようになってきました。移動というテーマも浮かんできます。熊本~東京で明らかですが、三四郎本人の熊本県人~東京に住み始めて熊本を田舎と思い始めた新東京人、そして例の漱石作品の妹たちの移動(住まいや立場、結婚など)も考えて、考え方、立場などについての移動/変更が浮かんできた。

   後半は三四郎の視線の物語としても読む事ができると思いました。冒頭から三四郎が見ている描写がたくさん出てきますが、それは汽車で会った人物とか、東京で初めて見る風景とかぼんやりとした印象の主体性のない視線だったのですが、美禰子への関心と愛が芽生えてきてからの、三四郎の視線は積極的で主体的なものになっていきます。

 それとこれは小森さんも言っているらしい、「妹の物語」としての『三四郎』。『三四郎』だけでなく、明治・大正の男性たちの恋愛と結婚にかんしては、妹が登場/活躍?してきます。これについては僕も、そして多くの人も感じて、考えて、発言していますが。そして『三四郎』の場合は、里見恭助の妹美禰子、美禰子と結婚すると思われていた野々宮宗八の妹よし子。いずれも兄が家長なので、兄が結婚すれば、妹も結婚して家を出ていくのが、家という制度的にも望ましい。それが女性(妹)が自分の望む相手と結婚できるかが問題になります。

   三四郎と同郷の野々宮は、三四郎の友人佐々木の師匠広田の弟子(生徒)だった事がある。広田先生は亡くなった友人の弟里見恭助、美禰子兄妹と親交がある。それでか野々宮と美禰子が結婚するような関係にあり、そこに三四郎が登場して混乱する/物語が生まれてくる訳です。三四郎は、煮え切らない野々宮に対する当て馬のような存在にも見えます。どうも同い年の美禰子にとっては弟のような、でも少しは恋人のようにも見えます。

   有名な「ストレイ・シープ」は、美禰子が自分の事を言っているようにも、野々宮や広田や三四郎の迷子のような煮え切らない学者、インテリ、帝大生の事を言っているようでもあり。大きく言えば、近代化と伝統のはざまで迷っている日本人の事のようでもあり。

    最後に野々宮が美禰子の結婚式の招待状を破って捨てた時に、三四郎が「ストレイ・シープ」とつぶやいて終わるので、これは教養小説であると再認識しました。何も考えなかった熊本の高校生が東京に出てきて、佐々木を案内人として東京を見物し、恋愛のような事も経験し、失恋のようなイニシエーションを経て、割り切れない自分の気持ちと向き合う事ができるようになり、成長したのだと思います。