ジェーン・フォンダ、70年代のミューズ

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振り返ってみるとジェーン・フォンダなのだ。ニューシネマの走りともいえるアーサー・ペンの『逃亡地帯』(65)をのぞいて、『輪舞』(64)、『獲物の分け前』(66)、『バーバレラ』(68)と60年代のジェーン・フォンダの輝かしさをスクリーンに描き出したのは、フランスのロジェ・バディムだった。その後次の夫である政治活動家トム・ヘイドンの影響もあってベトナム反戦運動にのめり込み、ハノイ・ジェーンと異名をとった。手錠でつながれている写真はクリーヴランドの法廷。罪状は麻薬の密輸と治安妨害だが、多分政治活動をしているジェーンに対する嫌がらせだと思う。手錠をしていてもチャーミング。@http://www.jin.hokkai-s-u.ac.jp/~honjo/movies.html

 というような事をもとの職場のサーバーを使ってはじめた2001年のHPに書きました。「60年代の女神」と題して、ジェーン・フォンダにはじまり、フェイ・ダナウェー、キャンディス・バーゲンジュリー・クリスティシャーロット・ランプリングジェーン・バーキン、マリアンヌ・フェイスフル、ジョアンナ・シムカス、アニー・デュプレーなどを紹介。

 この私的ホームページは2008年にブログに転向して店じまい。でもまだ見る事はできるんですが。

 で、最近は俳優・女優の感想を書いていますので、ジェーン・フォンダ映画について少し。

 アンソニー・パーキンス(1m89㎝)が主演の『のっぽ物語』(1960年)、アラン・ドロンが相手役の『危険がいっぱい』(1964年、ルネ・クレマン監督)、『輪舞』(1964年)までは主として『映画の友』の写真でしか知りません。『輪舞』はシュニッツラーが原作で、監督は先述のロジェ・ヴァデム。翌年結婚しています。

 でアメリカに戻って『キャット・バル―』(1966年)はお嬢さんが父を殺されて、キャット・バル―よ呼ばれるお尋ね者になる西部劇。酔いどれのリー・マーヴィンがよかった。実生活でもかなりの酒豪だったようです。

 『逃亡地帯』(1966年)は保安官(マーロン・ブランド)の妻役。脱獄囚ロバート・レッドフォードが戻ってくる事で後ろ暗い町の人々がいろんな思惑で不安・騒擾状態に陥る。アーサー・ペン監督、リリアン・ヘルマン脚色なので、社会派的なサスペンスでした。

 『獲物の分け前』(1966年)からロジェ・ヴァデム監督・夫の影響でお嬢さんから若い義理の息子を誘惑するエロチックな女優に変貌します。フレンチ・コミックを映画化した『バーバレラ』(1968年)もセクシーな衣装でした。

しかしアメリカに戻って撮った『ひとりぼっちの青春』(1968年)は「ポラック監督+
レッドフォード」でもふれたシドニー・ポラック監督作品で、ダンス・マラソンに参加して、疲れ果て自殺をするグロリアを主演します。

 次の『コールガール』(1971年)もある種の政治サスペンス。ある科学者の失踪事件を調査している刑事のクルート(原題はKluteなのでタイトル・ロールです)は、科学者が手紙を書いた相手のコール・ガール(ジェーン・フォンダ)を監視しているうちに、お互い愛し合うようになるけれど、彼女に魔の手が・・・

 クルートを演じているドナルド・サザーランドとは70年代前半の政治活動での仲間のようにも思えましたが。

 監督のアラン・J・パクラは『アラバマ物語』のプロデューサー。1969年の『くちずけ』が監督デビュー。23才の初主演のライザ・ミネリが初々しかった。

『ジュリア』(1977年)はリリアン・ヘルマンジェーン・フォンダ)と親友ジュリア(ヴァネッサ・レッドグローブ)の友情の物語。反ナチの闘志ジュリアが、リリアンに「泣かないで」(No Tears)と言うシーンが印象的でした。

 監督は『真昼の決闘』(1952年)、『わが命つきるとも』(1966年)のフレッド・ジンネマンユダヤオーストリア人)。リリアンのパートナー、ダシール・ハメットジェーソン・ロバーズが前年の『大統領の陰謀』に次いでアカデミー助演賞を受賞しています。23才のメリル・ストリープがこの作品でデビュー。

 ジェーソン・ロバーズは、ボギー亡き後、ローレン・バコールとも8年間ほど結婚していて、息子も俳優です。この渋い俳優についても書きたい。小さい声で言いますが、あのジェーン・フォンダの80代の写真は整形が…