黒人監督という存在

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朝刊にアメリカの黒人映画監督メルビン・ヴァン・ピーブルズ(1932~2021)の訃報が載っていた。1971年の『スイート・スイートバック』がブラック・シネマの先駆けとなったと言う意味で映画史的に重要です。一般的には『黒いジャガー』(1971)や『スーパー・フライ』(1972)の方が知られていると思いますが。

 実はアメリカの黒人映画について少し調べた事があります。出演者も監督も、そして上演される映画館と観客も全部黒人だけという時代もありました。周知のようにハリウッド映画では、黒人は召使、使用人、運転手など。『風と共に去りぬ』(1939)で黒人女優として初めてアカデミー賞をとったハティ・マクダニエルの役もまたメイドでした。

 さてハリウッド資本による黒人監督の映画が1970年代はじめに相次いで作られます。俳優でもあるオシー・デービス監督による『ロールス・ロイスに銀の銃』(1971)。原作はメリカよりも先にフランスで評価された黒人ミステリー作家チェスター・ハイムズの原作によるもので、ハーレムの黒人刑事二人組を主人公とするコメディ・タッチの映画だった。アイザック・ヘイズのテーマ音楽でも有名な『黒いジャガー』(1971)は写真家だったゴードン・パークス監督。黒人私立探偵シャフトは従来の白人探偵物を黒人に置き換えただけであったが、その事自体に時代の変化が感じられる。

ゴードン・パークスの息子、ゴードン・パークス・ジュニアの監督した『スーパー・フライ』(1972)は主人公の麻薬密売人が、取り仕切っている白人刑事の支配下から逃れようとする点において、娯楽映画の枠組みのなかでの、白人によるシステムへの抵抗が描かれる。この映画もカーティス・メーフィールドのファンキーでチャーミングな音楽が映画と同じように強い印象を与えた。

 1970年代後半は、黒人映画が商業的な成功が見込めると考えたハリウッドが、黒人観客を当て込んだ安直な黒人映画、いわゆる「ブラックスプロイテーション映画」(ブラック+エクスプロイテーション=利用、搾取)と呼ばれる映画を作り、黒人観客のみならず一般にも人気をえる。ブラックスプロイテーション映画は単なる黒人娯楽映画であって、ストーリーや登場人物の造型等で社会(ということは白人の支配する社会)への異議申し立て、抗議、風刺を含む映画とはいえないが、その闊達で、黒人の肉体を駆使したアクション映画は、ある意味で60年代以降の公民権運動による黒人の意識向上の影響を受けている。

 さて メルビン・ヴァン・ピーブルズの『スイート・スイートバック』に戻ると、上記ブラック・シネマとはことなり、白人の悪徳警官をぶちのめし、黒人のアウトローが最後まで逃げおおせる(と思われる)過激なストーリーと斬新な映像表現により、唯一「黒人による、黒人のための」本来のブラック・インディーズとも呼ぶことのできる、カルト的な作品となっています。その監督があの朝日新聞の訃報欄に載るとは。朝日新聞の(記者)の意識か文化的知識が高くなったか、たまたま担当者に映画ファンがいたのか。

 原題のSweet Sweetbacks Baadasssss SongSweetback’は「色男」それともう少し下品な意味も。Badassは「タフで、格好いい奴」とう意味のようです。Badはマイケル・ジャクソンのヒット曲でも知られるように、「悪い」が「かっこいい」という風に逆転してますし、ass「お尻」は体の一部(当たり前ですが)で全体(人)を指す提喩という比喩表現方法です。

 この映画、1972年のジャマイカジミー・クリフの『ハーダー・ゼイ・カム』と抵抗と逃亡という構図が似ています。同時代的な白人の支配する社会への抵抗が暗くなく、ポジティヴに表現されています。それとアメリカン・ニューシネマと違って、ハッピー・エンディングかな。