フローベールの「素朴なひと」

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 なぜフローベールかというと、ガートルード・スタインの『3人の女』をはるか昔に授業で読んで印象に残っていました。それと基になったフローベールの『三つの物語』を比較しようと思ったのです。しかし『三つの物語』の1つ目の「素朴なひと」についてだけでかなり長くなったので2回連続でいこう思います。

 『三つの物語』。1つ目の「素朴なひと」がいいです。主人公のフェリシテ(「幸福」という意味)は両親に早く死なれ、残された姉妹たちとも離れ離れになり、決して幸福とは言えない。しかし題名のように有能なしかも無欲で無私な心の召使。未亡人の女主人に仕え、隣人にも優しく、主人の子供だけでなく、再会できた姉の息子にも気遣う。女主人が亡くなり、売りに出されたけれど買い手のつかない家の屋根裏部屋に慎ましく住み続けます。フェリシテは愛した対象をすべて失くしてしまいますが、唯一さいごまで残ったのがなんと鸚鵡。ルルと名付けたそのオウムの死後は剝製にして愛しながら静かになくなります。

 こんな人物を描いた短編のタイトルがUn coeur simple。筑摩書房の全集では「まごころ」、岩波文庫では「純なこころ」となっているらしい。また「素朴な女」、「素朴な心」という翻訳名もあるらしいが、それらを勘案しての「素朴なひと」なのでしょう。光文社(古典新訳)文庫のタイトルに納得します。でもフローベールの『感情教育』上下も買ったのですが、この文庫、少し高くないでしょうか。

 この短編について、イギリスの作家ジュリアン・バーンズの『フローベールの鸚鵡』(1984年、翻訳1989年白水社)でも描かれていました。タイトルからして「素朴なひと」の重要な登場動物?の事を言っています。しかも素朴だけれど無知なこの老女と作家との、孤独で失うものの多かった、苦しみながら生き続けた人生の類似を指摘する評論家も多いそうです。さらに言葉少ない老女の言葉を補う存在として口を利く鸚鵡。そしてフェリシテ+ルル=フローベールとまで言っています。それで『フローベールの鸚鵡』の第1章「フローベールの鸚鵡」は終わり、最後の第15章「そして鸚鵡は…」で、フローベールという作家と作品についての評論的な小説は終わる。

 さて地味に思えるこの短編が2008年マリオン・レーヌという監督で映画化されていました。主演サンドリーヌ・ボネール。子役出身ですが『仕立て屋の恋』(1989年、パトリス・ル・コント監督、原作はジョルジュ・シムノン)と、『ローフィールド館の惨劇』(1995年、ルース・レンデル原作、クロード・シャブロル監督)が印象に残ります。Youtubeで予告編を見ましたが、50才のボネールが20代の初恋の部分を演じるのは少し無理がありそう。でも彼女は『ローフィールド館の惨劇』の文字の読めないソフィーのようにコミュニケーションが苦手な人物の頑なな表情が似合う女優だ。そして無表情の中の一瞬の笑顔が輝く。