漱石の『門』と小説の評価

 

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門』は1910年(明治43年)に朝日新聞に連載され翌年刊行された『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品です。因みに後期三部作は『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』です。漱石の読者でなければ、特に後期三部作は『こころ』が突出して有名ですが、三部作という風に認識していない人も多いと思いますので、念のため。

 この『門』は結構好きです。『道草』と似ていて、『道草』よりひっそり暮らしている雰囲気がいい感じなんですね。直前に読んだ『虞美人草』が藤尾を描写する美文調もあって読みずらい。『漱石研究』の鼎談で水村美苗が「愚作」と断定していたのが小気味よかったです。でも読んで考えなければならない作品であるとしても。

 『それから』で友人の妻と出奔した代助。『門』では友人の内縁の妻と駆け落ちをした事となっていて、崖下の貸家に住む主人公は野中宗助。京大を中退して広島、福岡と流れて、友人の引きで東京の郊外に落ち着いてひっそりと暮らしています。崖上の家主がある種の高等遊民で、控えめなインテリの宗助と気が合って付き合いが始まるが、この坂井家にかの友人の安井が現れる。平常心を失った宗助は鎌倉に赴き座禅をはじめます。これが作品の構成上、唐突というか破綻と見るむきもあります。

安井は『それから』の平岡と同様に満州に流れていきます。この満州、大陸というのが、欧米の植民地とならないですんだ日本の植民地のような場所で、現在のポストコロニアルな視点からは、問題ありとなりそうですが。当時は日露戦争が勝利に終わり南満州を譲り受け、朝鮮半島を支配した日本にとって、内地でうまく行かなければ、外地で一旗揚げようとする冒険者(≒山師)またはその予備軍はたくさんいたようです。前年ハルピンで満州・朝鮮問題についてロシアと協議すべく赴いていた伊藤博文が暗殺されたことも弟の小六とお米の間で話題になっていて、その危険性も認識はしていたのだと思います。

 『門』で描かれている宗助夫婦の社会からの逸脱度、宗助のインテリ度、妻お住のやさしさの度合いが普通で具合がいい。この平凡さを漱石を否定する正宗白鳥がリアリズム小説として珍しく評価するのですが、谷崎潤一郎はそこに描かれている日常が空想に過ぎないとする。そして現代の研究者にも平凡趣味の理念にかなった人工的な平凡だと指摘する人もいるらしい。後出しじゃんけんのようで恐縮ですが、リアリズム小説のようにも見え、かつ空想的な人工的な平凡さなのですが、それを多分承知していると思える漱石の描写がうまいと思いました。前段でふれたジャーナリズム的な時事的な話題も朝日新聞の読者を意識している。青年と主婦の違い、青年の進学がうまくいかなければ大陸にでも行こうかという焦燥と客気。日本の近代化の行く末を批判的に見据えていた作家の才能は、リアリズムと家族の問題と時事的な話題と社会の構造と横断的に処理していると思います。

 写真は都市文学論で有名な前田愛が『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫、436頁)で作成した野中家の間取り図です。。茶の間を中心に宗助・お米・女中の場所が三方に分散している安定した居住空間。座敷は夜は夫婦の寝室、客が来たら客間、夕方と休日は宗助の書斎のような部屋となるのでしょう。その安定が宗助の弟の小六が引っ越してきたため、お米は自分の部屋を明け渡し、それもあって病に伏します。それにしてもあの程度の生活レベルで女中をおくので、狭いけれど女中部屋もあるんですね。この住まいの空間と主人公たちの身の置き方、処し方が心情や人間関係を表現している事がよく分かります。

 冒頭、宗助が縁側で寝転びながら空を眺めて、自分のいる狭い世界との差異に思いを致しながらもそれなりに満足している描写は作品全体のトーンを設定していると思います。それがいったん壊れて、またもとに戻る。お米はやっと春になってよかったですねと言い、宗助はまたじき冬が来るさと答える。楽観的な主婦と悲観的な夫の受け取り方の対比。でもまた壊れたら、また直せばいいと思いました。