漱石作品、仲働き他の女性の職業

 前に『門』(1910年、明治43年)で、中下級の公務員の夫婦に女中がいる生活について、現代の感覚からいうと少し驚いた事についてブログでふれました。

 また漱石を読んでいて、『彼岸過迄』(1912年、明治45年、大正元年)を読んでいて、主要登場人物である須永は20代の大学出の高等遊民。彼は母親と住んでいるのですが、そこに仲働きと下女がいます。そして同じ頁で下女を飯盛と言い換えてもいます。漱石って、勝手な当て字をしたり、字を作ったり?もしますから、用語についても少し信用できません。

 でもここでは仲働きは奥女中(奥向きの用事をする)と下女(勝手向きの用事をする)との中間の雑用をする職業名だと思います。でも宮中でも武家屋敷でもないので、そもそも奥女中はいないけれど、下女と区別をする意味で、仲働きという言葉を使ったのだと。この仲働きは母親が外出するときにつきしたがって同行する役もあります。

 そして飯盛は宿場女郎と間違われそうですが、家庭内の雑用のうち料理を中心とする下女のような意味で使ったのでしょう。それにして女中が差別用語とされお手伝いになったのですから、下女はもっと差別度が強い言葉に聞こえますが、時代のせいでしょうか普通に使っていたよう。下男という言葉もありましたね。

 主人公または狂言回し、語り手の田川敬太郎は大学を出て就職を探している身分です。故郷に少しは土地をもっているようですが、須永のように気楽に暮らせる訳ではない。当時の超エリートの大学出も明治も終わりに近づく頃は様々。そして後期三部作の『彼岸過迄』もけっこう面白いです。『門』でもそうでしたが、ちゃんと読んでいないのか?再読して発見が多い。

 連休前半6日間も連続してテニスをしたので、雨の今日は絶好の休養日となりました。でも昼前に雨がやんで日がさしてきました。